仙女たち(シャルル・ペロー)のあらすじ-2(終)

仙女たち、イラスト2 ペロー童話

ペロー童話集に入っている『仙女たち(Les fées)』のあらすじの続きです。

姉の前に現れた人は?

母親に言われて姉娘は水をくみに泉に出かけました。手にはうちにある一番いい金の水差しを持っています。文句を言いながら泉に姉がやってきたら、すぐに、とても立派な身なりをした女の人が森の中から出てきました。

「水をいっぱいくれませんか?」その女性は長女にたのみました。

実は、この女性は、妹の前にあらわれた老婆と同じ仙女なのです。姉のほうがいかに、無礼なのかたしかめるために、今度は王妃の姿になっていました。

水をあげない姉がもらったものは?

姉は、「私はあなたに水をあげるためにここに来たのかしら? 奥様に水をあげようと思ってわざわざ銀の水差しを持ってきたのかしら? 違いますよ。どうしても欲しいなら自分で飲んでください」、こう答えました。

「やはり、あなたはまっとうな人ではないのですね」。仙女はべつに怒らずにこう言いました。

「あなたがそんなに不親切なら、これをあげましょう。あなたが話すたびに、口からヘビとヒキガエルが出てきますよ」。

妹に八つ当たりをする母親

姉娘が戻ってきたのを見た母親はすぐに声をかけました。「どうだった、娘や?」

「どうもこうも、お母さん」。姉娘がこう答えたら、口からまむしが二匹とヒキガエルが二匹飛び出てきました。

「ええっ、何てこと! これはいったい?」。母親は叫びました。「こんなことになったのは、妹のせいだ。こらしめてやる」。

森の中で王子さまにあう妹

母親は、妹をぶつために、走り寄りました。妹は、家から逃げ出し、近くの森に隠れました。

すると、狩りから戻った王子さまが通りかかり、とてもきれいな娘が森にいるのを見て、なぜ、こんなところで一人で泣いているのか、たずねました。

「ああ、王子さま。母に家から追い出されたのです」。王子さまは、娘の口から、真珠が5つ6つと同じ数のダイヤモンドが出てくるのを見て、いったいどこから宝石が出てくるのか、娘に聞きました。

娘は自分の身に起きたことをすっかり話しました。

王子は妹と結婚するが、姉は…

王子さまはこの娘をすっかり好きになりました。このような贈り物は、どんな結婚の贈り物よりも価値があると思った王子さまは、父親のいるお城に娘を連れていき、そこで娘と結婚しました。

姉娘は、みんなに嫌われ、母親から家を追い出されました。姉娘は、どこへ行っても、誰からも好かれず、あちこちさまよったあげく、森の片隅で死んでしまいました。

教訓

ダイヤモンドや金貨は人の心に強く働きかけます。しかし、やさしい言葉はそれらより、もっと大きな力ともっと大きな値打ちがあります。

もう1つの教訓

親切にするためには、心遣いが必要ですし、多少は人に気に入ってもらえるようにしなければなりません。ですが、親切にすることは、いつかむくわれます。

それも、思いもよらないときにむくわれるのです。

—『仙女たち』あらすじ終わり—-

原文はこちらを参照しました⇒ Les Fées (Charles Perrault) – texte intégral – Contes, légendes et fables – Atramenta

この童話から私が読み取ったこと

なぜ仙女は1人なのに複数なのか?

この童話のタイトルは Les fées (妖精たち、仙女たち)で、fée が複数になっています。実際には仙女は1人なのに、なぜ複数形なのでしょうか?

たぶん、老婆の仙女と、王妃の仙女をそれぞれ1人と数えているのでしょうね。つまり、妹の前にあらわれた老婆と、姉の前にあらわれた王妃はまったくの別人である、ということなのでしょう。

とにかく見なりがものを言う時代

妹のやさしさを確かめるために、仙女は貧しそうな老婆になり、姉の不親切度を確かめるために、仙女は立派な王妃になって出てきました。

これは、この時代、いかに社会的な階級が重要視されていたか、そして、その階級の差がどれほどしっかり見かけにあらわれていたかを物語っています。

見かけが大事だということは、サンドリヨンのあらすじにも書いています。

ペローの生きていた社会では、ふつうの人は、見かけの悪い人にはあまり親切にはしなかったのでしょう。というより、同じ人間同士という扱いはなかったと思われます。かけがよくないということは、階級が低いということですから。

しかし、妹は、見かけが悪い老婆に親切にしたので、「本当に、とても親切な娘である」と証明されたのです。

逆に、姉のほうは、誰もが丁重に扱うはずである王妃に対して、ひじょうに無礼で不親切だったので、「正真正銘の意地悪」と判定されてしまったのでした。

この童話は、親切な人がむくわれて、不親切な人が、不幸な目にあうというモラルを教えているわけですが、私は、この時代の階級の差と、身なりの重要性を訴えている話に思えてなりません。

ペローのした苦労がうかがわれる教訓

ふたつめの教訓は、サンドリヨンの教訓と同じように、宮廷生活で苦労したペローの気持ちがあらわれているように思います。

人に親切にするには、いろいろ気遣いや計算が必要だし、相手に嫌われてしまっては、親切にしようがない。親切にふるまうのは決して簡単なことではないのだよ。だけど、その苦労は、いつか思いがけないときに、むくわれるんですよ、みなさん。だから、人には親切にしましょうね。

彼はこう言いたかったのではないのでしょうか?

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