ロシュフォールの恋人たち:ジャック・ドゥミ監督(1967)の感想。

海岸 映画のレビュー(一般)

ジャック・ドゥミ監督の長編映画の5作目、Les Demoiselles de Rochefort(直訳、ロシュフォールの娘たち、邦題:ロシュフォールの恋人たち)を見ました。『シェルブールの雨傘』がヒットしたあと、ドゥミ監督がより多くの予算を使って、撮影した映画です。

ロシュフォールの恋人たち、予告編(1分45秒)

基本情報

  • 脚本、監督:ジャック・ドゥミ
  • 音楽:ミシェル・ルグラン
  • 主演:カトリーヌ・ドヌーブ(デルフィーヌ)、フランソワーズ・ドルレアック(ソランジュ)、ジャック・ペラン(マクサンス、水兵)、ダニエル・ダリュー(カフェの女主人、デルフィーヌとソランジュの母親)、ほかにジョージ・チャキリス、ジーン・ケリー、ミシェル・ピコリなど。
  • ハリウッドのミュージカルを意識しているが、ハリウッドふうにはならないミュージカル映画。『シェルブールの雨傘』は全編、歌でしたが、この映画はセリフはふつうにしゃべります。なので、唐突に歌や踊りが始まります。
  • 前作と同じくカラフルな衣装(パステルカラー)にセットが多用されています。街なかで踊るシーン多し。ジョージ・チャキリスはさすがに踊りの切れがいいです。
  • 上映時間、127分
  • 制作はアメリカとフランス
  • ロシュフォールは、フランス西南にある海辺の街。17世紀~18世紀は軍港として栄えていました。この映画で有名になり、観光に行く人も多いけれど、映画ができる前はひなびた街だったと思います。2007年の人口、およそ2万6000人。
  • テーマはすれ違い、金、土、日、月の4日間の物語。

あらすじ

夏、とても天気のいい金曜の朝、週末行われる祭りで出し物をするためにエチエンヌ(ジョージ・チャキリス)率いるキャラバンがやってくる。男女の若者のグループで、トラックを降りて次々と踊りだす。

大画面でみると、「わ~すてき~」と思ってしまうような群舞を展開。しかし、大部分、フランス人が踊っているせいか、一糸乱れぬ、という感じではなく、もっとラフな雰囲気。

この街には、デルフィーヌとソランジュという若くて美人の二卵性の双子姉妹がいる。デルフィーヌは踊り(バレエ)、ソランジュは音楽(作曲)を得意としており、2人でバレエ教室をやっている。

2人は、こんな街にくすぶっているのはいやで、パリに行って成功したいという夢がある。恋愛にもあこがれている。

双子の母、イヴォンヌは広場でカフェを経営していて、フレンチフライ(フリッツ)やらを出している。街にやってきた人たちは、たいていこのカフェに立ち寄るので、ここは出会いと情報交換の場所である。

デルフィーヌとマクサンス

デルフィーヌは、ギヨーム(画廊を経営)という男と付き合っていたが、別れ話にやってくる。そのとき、画廊に自分そっくりの肖像画が飾ってあるのを発見する。実は、この肖像画は マクサンスという絵描きが描いたもの。

マクサンスは自分が追い求めてやまない理想の女性を描いたのである。デルフィーヌはこの絵を描いた男に会いたいと思う(デルフィーヌに未練があるギヨームは居所を教えない)。

しかしマクサンスは、なんと水兵としてロシュフォールにいて、しかも、イヴォンヌ(デルフィーヌの母親)の店でビールを飲んでいたりする。彼はもうすぐ除隊で月曜の朝、パリに戻るという。

ソランジュと外国人

一方、ソランジュは、弟を学校に迎えに行ったとき、外国人(ジーン・ケリー扮するアメリカの著名な作曲家)と偶然(しかしかなりわざとらしく)ぶつかり、この男に一目惚れする。外国人のほうも、ソランジュに強く惹かれ、彼女が落とした楽譜(ソランジュが作曲した)を拾う。

外国人は、友だちのシモン・ダム(楽器店の店主)に10年ぶりに会いに来たのだった。この2人は、コンセルバトワール時代の同級生。

イヴォンヌとシモン(楽器屋さん)

実はシモン・ダムは、イヴォンヌ(双子の母)の元婚約者で、2人は別れたあともお互いを思い合って、「会いたいな、でも遠くにいるからもう2度と会えない」と思っている。しかし、目と鼻の先の楽器店とカフェにいるわけだ。

この3つのカップル(デルフィーヌとマクサンス、ソランジュと外国人、シモンとイヴォンヌ)は、微妙にすれ違う。

人工的だけど、不思議にリアルな映画

『シェルブールの雨傘』は悲劇でしたが、今作は明るめの映画となっています。特に大きな事件は起きず、3組のカップルのそれぞれと、キャラバンの2人を含めたその他の人々が、カフェに行ったり、楽器店に行ったり、道ですれ違ったりして、話がすすみます。

ソランジュとマクサンスは道で会って言葉を交わすのに、デルフィーヌとマクサンスはすぐ近くにいるのにすれ違い続けます。

イヴォンヌ(カフェの主人)は、「いつも店にいなきゃだめだ」と言って、お祭りのときも出かけませんし、楽器店のシモンも、すぐそばに住んでいるのに、コーヒーを飲まないのか、店番は自分しかいないのか、カフェには決して行きません。

そんなふうに、恋人になる運命にあるかにみえる人たちが間違ったタイミングで間違った場所に行くあいまに、歌ったり踊ったりする映画です。

セリフのある人たちが街を歩いているときも、うしろでダンサーたちがゆるく踊っていて、街全体がステージになっています。

ドゥミ監督の長編デビュー作、『ローラ』でも街なかで人々がすれちがっていましたが、そのスケールを大きくし、カラフルな色をつけ、みんなに歌わせ、かつ、踊らせた映画と言えます。

設定はすごくわざとらしいですし、双子姉妹のかつら(だと思う)や衣装をはじめ、ほかの人の服装も、色を合わせているため、ふつうの人が日常着るような服には思えません。

しかも、突然歌いだして踊りだします。

このようにすごく人工的な、いかにも作り物というか、フィクションなのですが、ドゥミ監督のすごいのは、じわじわと、「ああ、でも人生ってこんなふうに、ちょっとしたタイミングで、会ったり、会わなかったりして、その後の展開が決まるよね。わかる、わかる」と思わされ、2時間もあるのに、最後まで見てしまうところです。

ただ、スケールを大きくしすぎたせいか、『シェルブールの雨傘』に比べると、焦点がぼけて、求心力が弱まった感じはします。

その他の見どころ、聞きどころ

ミュージカルなので、歌、音楽、踊りを楽しむべきでしょう。風景もいいですし、ビジュアルが美しい映画です。

カトリーヌ・ドヌーヴ(1943年生)とフランソワーズ・ドルレアック(1942年生)は、実の年子の姉妹なので、この2人を見比べつつ踊りを観察するのもおもしろいかもしれません。

ドルレアックのほうが、ダンスがうまいし洗練されていると思います。彼女は、この映画がフランスで公開された1967年3月8日のおよそ3ヶ月後に、25歳で交通事故で亡くなっています。残酷な運命です。

カフェで皆でケーキを食べているシーンで、昔シェルブールに住んでいたとか、ナントの美容院がどうこうとか、何気なく話しますが、すべて、ドゥミ監督の過去の映画のエピソードにからめてありますので、過去の映画をしっかり見ている人は、「あ、あの話」だとわかって楽しいでしょう。

今回、ストリーミングで見ましたが、デジタル・リマスター版なので、私が持っているDVDより、ずっと画質がよかったです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました