悲しみよこんにちは:オットー・プレミンジャー監督(1958)の感想。

悲しそうな少女 映画のレビュー(一般)

フランスの作家、フランソワーズ・サガンの同名の小説を映画化した、Bonjour Tristesse を見ました。邦題は、『悲しみよこんにちは』。

ビジュアル(リゾート地の風景)が美しい映画で、1950年代の風俗やファッションも興味深く、主演のジーン・セバーグはキュートです。が、話の内容は、「え、これだけかい? シンプルなのはいいけどさ」というものでした(あくまで、私の主観です)。

悲しみよこんにちは・抜粋

作品情報

  • 監督:オットー・プレミンジャー
  • シナリオ:アーサー・ローレンツ
  • 主演:ジーン・セバーグ(セシル)、デヴィッド・ニーヴン(レイモン、セシルの父)、デボラ・カー(アン、セシルの亡くなった母の親友、レイモンと婚約する)、ミレーヌ・ドモンジョ(エルサ、レイモンの若き愛人)。
  • 制作:アメリカとイギリス
  • 原作:『悲しみよこんにちは』フランソワーズ・サガン
  • 挿入歌:ジュリエット・グレコ

あらすじ

パリに住む金持ちの娘セシルは、大好きな父親とぜいたくに暮らしていた。父親は、かなり前に妻を亡くし、以後、プレイボーイである。

セシルが17歳の夏、父親、父親の愛人、セシルの3人で、バカンスを楽しむため、フレンチリヴィエラにある別荘にやってきた(上で紹介した抜粋はその3人の様子)。

愛人を連れてきているのに、なぜか父親は、亡き母の親友で、セシルたちからみると、お固いアンを別荘に呼ぶ。そして、これまたなぜか、父親は、アンにプロポーズし、アンは承諾する。

アンを嫌いではなかったセシルだが、父親と婚約したとたん、母親気取りで自分の生活にあれこれ干渉してくるアンが気に入らない。

勉強しろとか、バカンス先で知り合ったボーイフレンドと別れろ、などなど一方的に、言われるからだ。

セシルは、アンと父親の結婚が破談になるよう、ちょっとした策略を思いつく。しかし、それは、悲劇的な事件を引き起こし、以後、セシルは、ブルーな気持ちで過ごすのだった。

現在(パリ)のシーンはモノクロで、去年のバカンスのシーンはカラーで描かれます。

フランスの小説が原作のハリウッド映画

サガンの原作はとても有名で、読んだことはなくても、それがフランスの小説であり、「なんだかしらないけど、メランコリーでアンニュイなのね」、というイメージを持っている人が多いと思います。

フランスの小説が原作で、映画の舞台もフランス(パリとコートダジュール)で、登場人物はフランス人という設定ですが、演じているのは、セシルがアメリカ人、レイモンとアンがイギリス人、ミレーヌ・ドモンジョだけが、フランス人という、ある意味、不思議な配役です。

いずれも、名の知れた俳優さんたちだし、映画としては、それなりに、うまくできていると思います。

見どころ1・タイトル

この映画の一番の見どころはビジュアルでしょう。まあ、映画は見せる芸術なので、ビジュアルが成功していたら、半分ぐらいは成功しています。

タイトルデザインは、天才と呼ばれたソウル・バス。花や涙の絵を描いたのは、当時、パリで活躍していた日本人画家のSugai Kumi(菅井汲)。

タイトルで、一番最初に名前が出てくるのはデボラ・カーですね。このタイトルの絵は映画の内容をよく表していて、はじめのうちは、楽しい暖色だけど、ちょっと黒(どす黒い計画)が出てきて、それが青い涙に変わります。

これはセシルが流す涙です。去年、フレンチリヴィエラでバカンスを楽しんでいた、17歳のときは、私はハッピーだったけど、バカンス先で、あるできごとがあり、それ以来、私は、もう前のようには楽しめない。悲しみよ、こんにちは、というストーリー展開です。

見どころ2:セシルのファッション

「セシルカット」の流行が生まれたぐらい、ショートカットがかわいいジーン・セバーグは、この映画の一番の魅力と言えましょう。

特に、芝居はうまくありませんが、そのせいで、早熟で、頭はいいみたいだけど、あまり物ごとを深く考えていないティーンエイジャーの雰囲気がよく出ています。

水着が3着、ドレスが数着(ジバンシーのデザインだそう)、ほかに、白いシャツや、ボーダーの半袖ニット、白いホットパンツやカプリ丈のパンツなど、まるで雑誌の特集のようなファッションを展開しており、どれもシンプルながら、素敵な装いです。

別荘やパリの自宅の中の家具調度も、古い物を見るのが好きな私には楽しめました。

不満なところ:浅い人物像

父親レイモン、婚約者のアン、愛人のエルサ、そしてセシル、主要人物全員の思考がよくわかりません。

セシルは、父親と仲がよく、上で紹介した抜粋では、似たようなタンガリーシャツを、同じように腰で結んで、まるでペアルックです。

父親とペアルックする17歳。セシルは父親っ子、またはファザコンなのでしょう。セシルは父親のことを、「パパ」「お父さん」と呼ばず、「レイモン」と呼んでいます。

父が好きだからこそ、父がアンと婚約したのを聞いたときは、セシルはショックを受けていました。では、なぜ、父と愛人エルサのことは平気なんでしょうか?

セシルとエルサは年が近いせいか、けっこう仲がいいのです。自分と年の近い父親の愛人には、ふつう、娘は反発しませんか?

さらに、父親、レイモンの行動も謎です。娘とすごすバカンスに愛人を連れてくるなんて変だし、まあ、そういう人なんだということにしても、では、なぜ、アンを呼んで、おまけにプロポーズまでするのでしょうか?

アンと、レイモン(とセシル)は価値観も住んでいる世界も、全然違うのに。

ルイサも、何も考えていない雰囲気ですが、これはそういう役だから、いいのかもしれません。

最後に、アンですが、なぜ、レイモンとの結婚を承諾したのでしょうか? 確かアンは2度めの結婚だったと思いますが(うろ覚え)、アンは、ファッションデザイナーという仕事があり、自立しているので、経済的には、亭主なんていりません。

ましてや、レイモンみたいなうわついたプレイボーイの亭主は。

この2人がいきなり婚約したのも、解せません。「前から好きだった」というふうにも思えませんでした。

1958年は、まだ「女性は結婚していたほうがいい」という風潮だったのかもしれませんね。

セシルの計画のせいで、悲劇的なできごとが起きますが、アンが過剰反応しなければ、おおごとにはならなかったはずです。「大人なはずのアンが、あんな反応するかしら?」と思います。

成長しない父と娘

セシルは、「自分のせいであんなことが起きてしまった、もう何をしても楽しめないわ」、とメランコリーにひたっています。それならば、しっかり反省して、パーティ三昧をやめ、勉学に打ち込み、もっと世のため、人のためになる人間になればいいのに、と思います。

父親も相変わらずパーティやお酒を楽しむ日々で(いったい、いつ仕事をしているのか?)、去年のバカンスでのできごとのせいで、ちょっとは落ち込むときがあるかもしれませんが、基本的には以前のままです。

この2人、何も成長していません。

ですが、こういう人たちは実際にいるのかもしれませんね。お金がありすぎても、不幸になってしまうのでしょう。

★Amazonのプライムビデオでレンタルもできます。

この映画のセシル(ジーン・セバーグ)は、ゴダール監督や、トリュフォー監督には評判がよく、ゴダールは、実際、『勝手にしやがれ』でジーン・セバーグを起用しました。

トリュフォーも、『アメリカの夜』に出演してもらいたかったそうですが、連絡が捕れなかったそうです。

確かに、ジーン・セバーグは魅力的です。

「あんなにかわいいし、お金もあって何不自由しないのに、ぜいたく言うなよ」と思いますが、美しすぎる悩みや、お金がありすぎる問題を体験したことがない私にはわからない世界なのでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました