美女と野獣(ジャン・コクトー監督、1946)の感想。

夜のお城 美女と野獣

マルチな才能をもつ、フランスの著名な芸術家、コクトーが監督した、La Belle et la Bête(邦題:美女と野獣)を見ました。今回見たのはリストア版です。

美女と野獣、予告編(1分46秒)

La belle et la bête (1946) bande annonce
ナレーションはジャン・コクトー自身です。

作品情報

  • 脚本、監督:ジャン・コクトー
  • 撮影:アンリ・アルカン
  • 原作:ボーモン夫人の『美女と野獣』
  • 主演:ジャン・マレー(野獣、アブナンの二役)、ジョゼット・デイ(ベル)
  • フランス語、93分。白黒映画
  • 公開:1946年10月29日(フランスにて)
  • 気高く美しいベルと、醜い外見とはうらはらにやさしく紳士的な野獣の愛の物語

あらすじ(さわりの部分)

時代は中世あたり。ベル(美人)は、いじわるで虚栄心の強い姉2人に、女中扱いされていた。この一家は最近、金持ちから貧乏になったらしい。兄は、ベルにやさしいが、ぐーたらで役にたたない。

兄の友達、アヴナンは、とてもハンサムで、ベルに気があり、「結婚しよう」という。しかしベルは「父親を置いて家を出るなんてできない」と言って承諾しない。

そんなある日、父親の船が港に戻ったと知らせがあり、父は荷物を引き受けに出かける。姉たちは、いろいろお土産を父にせがむ。父が、ベルのリクエストも聞いたところ、ベルは、「バラの花を1輪お願いします」と頼む。

父が港についたら荷物はほかの人に取られていた。一文無しになり、今夜の宿代もない父は、さまよっている間に、あるお屋敷にたどりつく。

このお屋敷がとても不思議で、扉を開けて入ると、人間の手が持つ燭台が、廊下に次々と出てくるし、テーブルの上の燭台も手だし、壁の飾りの彫像みたいなものは、本物の人間の顔だったりする(リアルの彫像が飾りのときもある)。

父はワインを飲んだあと椅子の上で眠り、目がさめたあと、ふらふらと庭に出ていき、バラを見つけ、「娘に」と思って1輪いただく。するとそこへ、顔中、毛むくじゃらの動物のような人間(野獣、という名の生き物)があらわれ、「バラを盗んだ罰として、おまえには死んでもらう」、と父に言う。

「お助けください、娘に頼まれたんです」と命乞いをする父に、野獣は、「おまえの代わりに娘を1人よこせ」と言って父親を帰す。父親が自宅で、子どもたちに事情を話すと、ベルは1人で野獣の屋敷に向かう。

最初は野獣を見て恐怖のため失神したベルだが、次第に野獣と仲良くなっていく。

☆おおまかな筋は、原作と同じです。アヴナンという男性は、ボーモン夫人の原作には出てきません。

ビジュアルな詩

この映画は詩を映像で表したような作品です。

コクトー(1889-1963)は、詩人、小説家、劇作家、評論家、画家、映画監督、脚本家となんでもやってしまう人です。そんな彼の美意識が細部まで感じられます。

セリフはそんなにありませんが、とにかく、映像が美しく、幻想的で、印象的なシーンも多いです。こちらは、野獣のお屋敷の食堂のシーン(3分45秒)です。テーブルの上は果物やらが盛りだくさんです。ベルのドレスも豪華です。

La Belle et la Bête de Jean Cocteau – Extrait

この作品に影響を受けた映像や音楽もたくさんあります。たとえば、ジャック・ドゥミ監督の『ロバと王女』には、この映画のオマージュと思われるシーンがいくつか登場します。

王さま役が、ジャン・マレーで、この王さまがコクトーの詩を読む場面があるし、カトリーヌ・ドヌーヴ演じるおひめさまが城を出ていくシーンも、この映画でベルが走るシーン(スローモーション撮影)と似ています。

役者の芝居は全体的に大げさで、舞台劇ふうです。シーンとシーンのつなぎがスムーズでない(唐突に変わる)のも、戯曲のようです。

大人むけのおとぎ話

子供の頃、この映画を見て、今ひとつピンと来なかったのですが、この映画は、子ども向けでなく、大人むけの童話のリテリングだと思います。

実際、映画の冒頭に、「きょうは子供になった気分で見てください」というコクトーの文章が出てきます。

(子どもたちは、どんな話でも信じる、というくだりのあと)

C’est un peu de cette naïveté que je vous demande et, pour nous porter chance à tous, laissez-moi vous dire quatre mots magiques, véritable «sésame ouvre-toi» de l’enfance:Il était une fois…

みなさんに、子どもたちのもつ純真さを少しもってほしいのです。わたしたちに幸運をもたらすために。魔法の4つの言葉を言わせてください。本物の子供時代の「開け、ごま」と。昔むかし・・・。

「不思議できれいなものがいっぱい出てきて、おもしろいなあ」と思いながら見る映画と言えましょう。

ポスターはカラー

野獣でいたほうが魅力的だった野獣

ベルと野獣はだんだん仲良くなりますが、セリフがあまりないので、なぜ、ベルが野獣を次第に好きになっていくのかよくわかりません。というよりも、最初からベルは野獣を好きなように思われます。

野獣が、「このお屋敷の主人はあなただ、ベル」というせいか、ベルはわりと、上から目線で、野獣と話をしています。家では、お姉さんたちにいじめられていたので、野獣の家では、その反動で、のびのびできたのかもしれません。

原作では、結婚を承諾してくれる美しい女性があらわれたので、野獣は王子の姿に戻ります。

しかし、この映画では、アヴナンと野獣の外見が最後に入れ替わります。

アヴナンが野獣のお宝の入ったお蔵(?)に屋根の上から押し入ろうとしたとき、狩りの女神、ディアーナの彫像が彼に矢を放ちます。それが背中に突き刺さって、アヴナンは落ちますが、そのとき野獣の姿で死にます。

その瞬間、川のそばに横たわり、死にそうになっていた野獣が、ハンサムな王子になって立ち上がり、にこにこします。

これはいったい何を意味しているのか? バチ当たりな行いをしたアヴナンが、野獣の罪を引き受けてくれたのでしょうか?

王子(野獣)は、両親が精霊を信じなかったので、精霊によって野獣の姿に変えられていた、とベルに説明します。

野獣がいきなり、アヴナンそっくりの王子に変身し、にこやかに笑っているので、ベルはとまどっていました。たぶん、ベルは、苦悩する野獣のほうが好きだったのだと思います。私もそうです。

幻想的で美しい映画だし、コクトーの工夫や実験精神もあふれているので、『美女と野獣』が好きな方は一見の価値があります。

なんといっても、この映画、昭和21年の映画ですから。昭和21年は、第二次世界大戦が終わった翌年で、昭和天皇が人間宣言した年です。

野獣は、一見チューバッカ(スターウォーズのキャラクター)の毛を短くしたような外見で、少なからず愛嬌があります。そばを小動物が通ったとき、両耳がピクッと立つシーンは、笑えました。

野獣は野獣的な反応をしてしまう自分を恥じていましたが。

フランス語のセリフはとてもゆっくりなので、聞き取りやすいです。

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