ジェーン・エアの映画、今回は1996年の『ジェイン・エア』を見ましたのレビューを書きます。原作の小説のタイトルは、Wikipediaでの記述が『ジェーン・エア』なので、私はいつもそう書いていますが、この映画は、Amazonでも、Wikipediaでも『ジェイン・エア』です。
表記、統一してほしいですが、まあ仕方がないかもしれません。JaneのAは二重母音なので、ジェインと書いたほうが英語に近いといえば近いです。
日本のAmazonのレビューでは、高評価ですが、私は、あまり好きではありません。
作品情報
- 監督:フランコ・ゼフィレッリ
- 製作:フランス、イギリス、イタリア、アメリカ
- 主演:シャルロット・ゲンズブール(ジェイン)、ウィリアム・ハート(ロチェスター)アンナ・パキン(ジェイン、子供時代)
- 上映時間:116分
- 原作:ジェーン・エア/シャーロット・ブロンテ
- 有名監督を起用し文芸大作を狙ったものと思われます。
予告編(3分)
見どころ・聞きどころ
音楽
この映画で一番いいと思ったのは音楽です。予告編の音楽はさほどでもないですが、本編では、とても美しい音楽が流れます。音楽の担当は、Claudio CapponiとAlessio Vladという人で、名前から察するにイタリアの方のようです。
サントラがSportifyにあるので、時々聞いています。
ハッドン・ホール
次にいいと思ったのが景色というか、シネマトグラフィーというか、美しく静かな映像です。ロチェスターの邸宅は、イギリスのマナーハウス(荘園領主のお屋敷)である、ハッドン・ホール(Haddon Hall)でロケーションしていて、庭をふくめ、雰囲気を盛り上げています。
実はこのお屋敷は、2006年のBBCのミニ・シリーズのジェーン・エアでも、2011年の映画のジェーン・エアでも使われております。
ハッドン・ホール、紹介動画(5分)
子ども時代のジェイン
この映画、全部で2時間足らずですが、子ども時代の描写がわりと長かったです。ジェインを演じたのは、すでにこのとき、アカデミー賞助演女優賞を獲得していた、アンナ・パキン(当時14歳ぐらい)でさすがの存在感です。
気が強くて情熱的なジェインを演じていました。
不満なところ
風景や音楽はよいですが、肝心の映画は、物足りません。原作を読んでいないのであれば、感動するかもしれませんが、原作を知っていると、「ジェイン・エアのスピリットが感じられない」と思うのではないでしょうか?
たしかにこの小説の軸は、ジェインとロチェスターのラブ・ストーリーですが、ほかにもいろいろな要素があります。しかし、映画になると、恋愛にしか焦点があたりません。それはいいとしても、それなら、もうちょっと、恋愛しているふうに描いてほしいものです。
主役の2人
ジェイン・エアにおいて最も重要な人物は、ジェインとロチェスターですが、両方とも、好きになれませんでした。役者としては、2人とも嫌いではありませんが。
ウィリアム・ハートは演技派なので、そつなく演じていますが、暗くて内省的なロチェスターです。ロチェスターはもっとおちゃめなところや、はじけたところがあったほうがいいです。
シャルロット・ゲンズブールは、私にとっては、フランスの女優なので、最初、「あ、この人、英語もしゃべれるんだ、ってか、ジェーン・エア?」と思いました。
考えてみれば、シャルロット・ゲンズブールの母親はイギリス人(ジェーン・バーキン)だから、英語もしゃべれるだろうし、いまは、ニューヨークに移住していますから、べつにジェインをやってもいいのですが、かげろうみたいなジェインで、情熱が感じられません。
アンナ・パキンの演じたジェインは、情熱的なのに、大人(18歳)になると、いきなり、生気がなくなるなんて変です。「妖精みたい」と言えば、そう言えるし、声もそんな感じなので、透明感のあるジェインではあります。
それにしても、セリフが棒読みだし、演技しなさすぎです。これはきっと演出のせいでしょう。
それと、この2人、とても深く愛し合っている恋人には見えません。1度目のプロポーズで、ロチェスターが、ジェインを抱きしめ、「ジェイン、そんなふうに暴れるんじゃない、まるで自分の羽を、死に物ぐるいで、引きちぎっている小鳥のようだ」という場面があります。
原文:“Jane, be still; don’t struggle so, like a wild frantic bird that is rending its own plumage in its desperation.”
この映画にももちろん、プロポーズのシーンがあって、ロチェスターが似たようなことを言いますが、そのとき、ジェインは全然もがいていません(暴れ方が足りない)。
プロポーズシーン(5分)
いつもこんな感じで、感情表現が希薄です。結婚式で、邪魔が入ったときも、原作では、ロチェスターは、ずっとジェインの手をがしっと握ったまま離さないのに、この映画では、1人でさっさと家に帰ってしまいます。
シナリオ
600ページちかくある小説を2時間の映画にするには、いろいろカットする必要がでてきますが、この映画では、かなり筋を変えています。一番変なのは、おばさんが病気になったのを聞いて、ジェインがゲーツヘッドに戻ると、なぜかそこにシン・ジンがいることです。
は? これはいったい? 妹のメアリーもいます。シン・ジンはおばさんの世話役か、弁護士みたいな役割をしている雰囲気です。
おばさんがあっさり死んだあと、ジェインはソーンフィールドに戻って、ロチェスターのプロポーズがあり、結婚式ですが、この結婚がご破算になり、すぐにジェインはソーンフィールドを出て、その直後、バーサ(ロチェスターの妻)が、家に火をつけます。
結婚式のあたりで残り30分だったので、どういう筋運びをするのかと思っていたら、宣教師としてのシン・ジンとのやりとりはほぼカットして、結婚式、ジェインの出奔、火事をほぼ同時進行する荒業でした。
う~ん。
そんなわけで、主役の2人やシナリオにちょっと(かなり)不満を感じます。
まだ1回しか見ていませんが、ラブシーン見ててもぜんぜんどきどきしないし、ロチェスターとジェインがいちゃつくシーンもないし(原作では、けっこういちゃついています。あくまでもビクトリア時代の流儀にそっていますが)、ロチェスターもジェインも暗すぎるので、すぐにもう1回、見たいとも思いません。
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