柏槇(びゃくしん)の話/ネズの木の話(グリム兄弟、1812)のあらすじ。

ジュニパー グリム童話

『柏槇の話』というグリム童話のあらすじを紹介します。原題は、Von dem Machandelboom、英語のタイトルは、The Juniper Tree (ザ・ジュニパー・トゥリー)です。

ビャクシンは木の名前で、辞書を見ると、ヒノキ科の常緑小高木とのこと。juniper tree で画像検索したら、松によく似た木の画像がたくさん出てきました。

超簡単な要約

まま母にいじめられ、殺された少年の骨を妹がビャクシンの木の根本に置いたら、少年は鳥になり、まま母に復讐し、最後に人間に戻って、父、妹、自分とで食卓につく話。

☆残酷なシーンが多いので小さな子供むきではありません☆

息子を生んで死んだ母

少なくとも2000年は前のこと、金持ちの男と美しい妻がいました。2人はとても愛し合っていましたが、子供ができず、妻は悩んでいました。

冬のある日、妻が庭にあるビャクシンの木の前に立ち、りんごの皮をむいていると、指を切ってしまい、雪の上に血が落ちました。

「ああ、血のように赤く、雪のように白い子供が生まれたらどんなにいいかしら」。そう言ってから8ヶ月たったあと、妻は夫を呼び、「もし私が死んだらビャクシンの木の下に埋めてください」と頼みます。

翌月、妻は雪のように白く、血のように赤い子供を生み落とし、亡くなりました。

再婚する父親

夫は、約束通り妻をビャクシンの木の下に埋め、しばらくしてから再婚しました。2人の間に女の子が生まれました。

最初の妻の子は男の子です。後妻は、娘はとても愛していましたが、先妻の子は邪魔な気がしていました。

息子が全財産を相続し、娘に何も残らないのがいやだったのです。そのうち、悪魔のような気持ちが彼女を満たし、息子に対する怒りが強くなり、まま母は、息子を小突き回し、平手打ちするなど、暴力をふるいました。

息子は、学校から戻っても、怖くて、心休まる場所がありませんでした。

りんご事件

ある日、娘が、「ママ、りんごちょうだい」と言いました。「いいわよ」。そう言って、母は、箱(chest)からりんごを取り出しました。この箱には大きくて重いふたがついています。

「ママ、お兄ちゃんにはあげないの?」

母はむっとしましたが、「学校から帰ったらあげるわ」と答えました。

息子が帰ってくるのを窓から見た母は、「おにいちゃんより先に食べちゃだめよ」と言って、娘からりんごを取り上げ、元あった箱に入れ、ふたをしました。

息子が戻ると、母は「りんご、食べない?」と言い、息子は、「はい、ください」と答えます。

「こっちにいらっしゃい、この箱から1つとりなさい」と母は言い、息子が箱の中に身をかがめたとき、フタをバン!と閉めたので、息子の頭が赤いりんごの中に落ちました。

偽装工作をするまま母

母は、自分の部屋から白いハンカチを取ってくると、息子の首にまきつけてその上に頭をのせました。そして、息子の身体を、ドアの前に置いた椅子の上に座らせ、その手の上にりんごを置きました。

マーリーン(娘の名)が、キッチンに入ってきたとき、母は、火にかけた鍋の中をぐるぐるかきまぜていました。

娘:「ママ、おにいちゃん、すごく青白い顔して、りんごを持って、ドアの前に座ってるの。りんごちょうだいって言っても、何も言わないの。なんだか怖いよ」。

母:「もう一回頼んでごらん。何も答えなかったら、耳をたたきなさい」。

言われたとおりにマーリーンが、耳をたたくと、兄の頭がころがり落ちました。

「ママ、どうしよう。私、お兄ちゃんの首を叩き落としてしまったみたい」。マーリーンは激しく泣き出しました。

死体をシチューに入れるまま母

「マーリーン、何てことをしたのよ!? 静かにおし。誰にも知られちゃだめよ。やってしまったことは仕方ないわ。おにいちゃんをシチューの中に入れましょう」

こう言うと、母は、息子の身体を切り刻み、シチューの鍋に入れました。

父親が帰ってきて、息子はどこだ、と聞きます。妻は、シチューを鍋から皿によそっているところで、マーリーンは泣いています。

「あの子は、母方の大叔父のところに行ったわ。6週間ほど、そこにいるんですって」。

「なんだって? 私にさよならも言わずに行ってしまうなんて。マーリーン、そんなに泣くな。兄さんはそのうち帰ってくるんだから」、そう言うと父はシチューを食べはじめました。

「おい、これ、すごくうまいな。おかわりをくれ」。父は、 何度もおかわりをして、 うまい、うまいと、喜んで食べながら、肉の骨をテーブルの下に放り投げました。

ビャクシンから鳥が飛び立つ

マーリーンは自分のタンスから、一番いい絹のハンカチを持ってきて、テーブルの下に散らばっていた骨を集めて、ハンカチでくるみ、大泣きしながら外に出ました。

骨を緑色の草の上にあるビャクシンの木の根本に置くと、マーリーンは気分がよくなりました。ビャクシンの木が揺れ始め、枝が別れて動き、まるで拍手をしているようです。

そのうち、木の上から煙が出て、火の中から美しい鳥が飛び立ちました。鳥が行ってしまうと、木はもとどおりになり、骨を置いたハンカチは消えていました。

歌と交換に物をもらう鳥

鳥は、金細工職人の家に行き、歌を歌いはじめました。

母さんが僕を殺した
父さんは僕を食べた
妹のマーリーンは、僕の骨を集めた
絹のハンカチに入れてしばって
ビャクシンの木の根本に置いた
チッチ、チッチ、なんて僕はきれいな鳥なんだろう

金の鎖を作っていた職人は、鳥の声があまりに美しいので、もう1回歌ってくれと頼みます。鳥が、金の鎖をくれたら歌うと言うので、職人は鳥に金の鎖をあげました。

同じようにして、鳥は、靴屋から赤い靴を、粉ひき屋から石臼をもらうと、それを持って家に戻りました。

報復を受けるまま母

父、母、マーリーンはそろって食卓についていました。父は気分がいいと言い、母は、何か悪いことが起きそうな予感がするとおびえ、マーリーンは泣いていました。

鳥はビャクシンの木の上で、例の歌を歌い始めました。母は目をつぶり、耳を押さえました。聞きたくなかったからです。

しかし、娘や夫は歌声にひかれ、順番に外に出ました。鳥は、父の首に金の鎖を落とし、マーリーンには赤い靴を落としました。

マーリーンは靴をはいてダンスをはじめました。「ママ、鳥さんが靴をくれたの。いま、とっても気分がいいの」と喜ぶ娘を見て、いやな予感でいっぱいで、うつうつとしていた母は、「自分も何かもらえて、気分がよくなるかもしれない」と思い、外に出ました。

すると、鳥は、母の頭の上に石臼を落としたので、母は死にました。

物音を聞いて、父とマーリーンが外に行くと、煙と炎があがり、それが消えると、息子が立っています。息子は、父と妹の手をとりました。

3人は幸せな気分で、家に入ると食卓につき、食事をはじめました。

原文はこちら⇒ Grimm 047: The Juniper Tree

原作者はフィリップ・オットー・ルンゲか?

この話をグリム兄弟に提供したのは、ドイツのロマン主義の画家、フィリップ・オットー・ルンゲ(Philipp Otto Runge 1777-1810)だとわかっていますが、ほかにソースが見当たらないため、専門家たちの多くは、この話は伝承話ではなく、ルンゲの創作だと考えています。

ランゲ(自画像)1802年頃

グリム兄弟が、ルンゲの絵からインスピレーションを得て、童話を書いたのかもしれない、という見方もあります。

ランゲは結核で早死してしまったのですが、文学者でもあり、詩も書いたし、『色球体』という芸術論も出版しています。ランゲは、三次元の色彩の体系を作り出した最初の人だそうです。

また、音楽といっしょに絵を見せる試みもしたし、風景をヒエログリフに見立てた作品も作ったし(それが何を意味するのかよくわかりませんが)、彼を総合芸術の先駆者として考えている人もいます。

彼は、子供の肖像画が得意だったそうですが、子供好きだったのかもしれません(勝手な想像です)。

『画家の妻と息子』(1807)

意外と現代的な話

『ビャクシンの話』のテーマは、子供に対する虐待なので、現代にも通じる話です。

現代では、子供を殺そうと思って虐待する人はいないだろうし、折檻(せっかん)して殺したあと、食べる、カニバリズムもありませんが。

原作には、まま母の心に、悪魔( Evil One)が入って、まま子をいじめたと書かれています。子供を折檻しているときの親も、心を悪魔みたいなものにハッキングされています。

いじめられるのが男の子であるのも、童話的にはやや変わっています。童話でいじめられるのは、たいてい女子ですから。

『ヘンゼルとグレーテル』の、ヘンゼルは、魔女に食べられそうになりますが、女子より男子のほうがおいしいと考えるのは、女子より男子のほうが上という考えから来ていると思います。

『ビャクシンの話』は、子供に対してというより、親たちにモラルを教える童話かもしれません。

お金にこだわりすぎないこと、自分の子供ばかりえこひいきしないこと、家族全員の幸せを志向すること、など。

この話の兄と妹は、母親が違っても、仲がいいのは救いです。自分の肉を「おいしい、おいしい」と言って食べた父親がなぜ鎖をもらえるのかは、よくわかりません。

父は何も知らなかったから、息子は許したのでしょうか? そもそも、父がもっとまともな人間と結婚するか、妻や息子の様子に気をつけていたら、こんなことにはならなかったのですが。

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