赤ずきん(シャルル・ペロー版)のあらすじ

赤ずきん その他の物語

シャルル・ペローの『赤ずきん』Le Petit Chaperon rouge のあらすじを紹介します。この話を知らない人はいないと思いますが、グリム童話の赤ずきんとは結末が違います。

村で一番かわいい娘

昔むかし、ある村に、これまで誰も見たことのないような、かわいい女の子がいました。母親も祖母も、その子をとてもかわいがっていました。

祖母が作った赤いずきんがとてもよく似合うので、その子はみなに、「赤ずきん」と呼ばれていました。

ある日、母親がガレット(パンケーキ)を作り、赤ずきんに言いました。

「おばあちゃんの様子を見に行っておくれ。からだの調子が悪いそうだよ。このバターのつぼと、ガレットを1つ、持っていってあげて」。

オオカミに出会う

赤ずきんは、すぐに、出発しました。森の中を歩いていると、オオカミのおじさんに会いました。オオカミは赤ずきんを食べたくて仕方ありませんでしたが、そばにきこりたちがいたので、できませんでした。

「どこへ行くの?」オオカミが聞きました。

赤ずきんはオオカミの言うことなんて聞いていると、恐ろしいことになることをちっとも知りませんでした。

おばあさんの家を教える赤ずきん

「おかあさまに言われておばあちゃんに会いにいくの。バターとガレットを持って」。

「おばあちゃんの家は遠いの?」

「うん。あそこに風車が見えるでしょう? あの村の最初のおうちよ」

「そうか、じゃあ、私もおばあちゃんに会いにいこう。私はこっちの道を行くから、おまえは、そっちの道を行きなさい。どちらが早くつくか競争だ」。

オオカミは、近道を全速力で走りました。一方、赤ずきんは、遠回りの道を、道草しながらのんびり歩いて行きました。

いきなりおばあさんを食べるオオカミ

おばあさんの家につくと、オオカミはドアをノックしました。

「誰だい?」

「私よ。赤ずきん。おかあさまに言われてガレットとバターを持ってきたの」

「とめくぎをはずしなさい。そうすれば、錠がはずれるよ」

扉をあけると、オオカミはおばあさんに飛びかかり、あっという間に食べてしまいました。オオカミは、もう3日間も何も食べていなかったのです。

おばあさんのふりをするオオカミ

オオカミは、扉をしめると、おばあさんのベッドにもぐりこみ、赤ずきんが来るのを待ちました。

しばらくして、赤ずきんがやってきて、扉をたたきました。

「だれだい?」

おばあさんの野太い声に赤ずきんはびっくりしましたが、風邪をひいているせいだと思いました。

オオカミに言われ、錠前をはずし、赤ずきんは家に入りました。オオカミは、ふとんで顔を隠し、こう言いました。

「ガレットとバターはそこにおいて、こちらに来て、私と一緒に横になりなさい」。

オオカミとの対話

赤ずきんが、服を脱いでベッドに入ると、おばあさんが裸なのに気づいて、びっくりしました。

「おばあちゃん、おばあちゃんの手はなんて大きいの!」

「おまえをしっかり抱くためだよ」

「おばあちゃん、おばあちゃんの足はなんて大きいの!」

「早く走るためだよ」

「おばあちゃん、おばあちゃんの耳はなんて大きいの!」

「おまえの言うことをしっかり聞くためさ」

「おばあちゃん、おばあちゃんの目はなんて大きいの!」

「おまえをよく見るためさ」

「おばあちゃん、おばあちゃんの歯はなんて大きいの!」

「おまえを食べるためさ」

そう言うとオオカミは、赤ずきんに飛びかかって、むしゃむしゃ食べてしまいました。

教訓

若い女の子、特に、きれいで、育ちのいい、やさしい女の子は、どんな人の言うことも、聞いてはいけません。そのせいで、オオカミに食べられてしまうことはめずらしくないのです。

オオカミと言ってもいろいろなのがいます。抜け目のないタイプや、静かで、嫌なことも言わず、怒ったりもせず、なれなれしく、やさしいことを言いながら、若い娘のあとを、家や、寝室にまでついていくるオオカミもいます。

ああ、こういうやさしそうなオオカミこそ、オオカミの中で、もっとも危険な奴なのです。

原文はこちらを参照しました⇒ Le petit chaperon rouge 3~4ページ

グリム童話の赤ずきんの結末

1857年に出た、最終版のグリム童話の赤ずきんは、前半はほぼ、ペローと同じです。ただし、オオカミが赤ずきんに、ベッドに入れといったりはしません。

おばあさんと赤ずきんは、オオカミに食べられますが、オオカミの皮をほしがっているハンターが、オオカミの腹を引き裂いて、2人とも助かります。

さらに、後日談もついています。別のとき、赤ずきんがおばさんの家に、パンケーキを届ける機会があり、森でべつのオオカミに会います。前回の経験から学んだ赤ずきんは、急いでおばあさんの家に行き、オオカミのことを伝えます。

おばあさんは、オオカミが来ても決して扉を開けません。しびれを切らしたオオカミは屋根の上にのぼります。そこで、赤ずきんを待つつもりなのです。

おばあさんと赤ずきんは、おけにお湯とソーセージを入れ、その匂いでオオカミをおびきだします。首をのばしたオオカミは、結局、おけに落ちておぼれて死にます。

グリム童話の原文(英語)はこちらを参考にしました⇒ Grimm 26: Little Red Cap

ペローの警告

グリム童話の赤ずきんは、オオカミ事件から学び、仕返しをしますが、ペローの赤ずきんは、そんな機会も与えられず、あっさり死んでしまいます。

赤ずきんの教訓は、「知らない人に、べらべら自分のことをしゃべってはいけない」とか、「お使いの途中に道草するな」だと思いますが、ペロー版のほうは、はっきり、「男に気をつけろ」と書いています。

最後に赤ずきんがオオカミに食べられてしまうのは、注意を怠ってしまうと、二度と取り返しのつかないことが起こりますよ、本当に取り返しがつかないのです、とペローが言いたいからなのでしょう。

コメント

  1. masausa より:

    「裸になってベッドに入れ」にはびっくりですね。取り返しのつかないこととは、素性の知れない男性の子供を生んでしまうことになるってことですかね。お家のために王家に嫁がなければならないような貴族の家のお嬢さんにとっては大事件ですね。ペローの作品、貴族の香りがしますね。
    私はもちろんですが仕返しをするグリム版を聞いて育ちました。「留守番中に知らない人を家に入れてはいけません。」的な教訓でしたが、当時施錠もせずに子供一人でよく留守番していましたが、今考えると昭和はのんきな世の中だったのだなと思います。時代によって人によって解釈は大幅に違ってくるものですね。

    • pen より:

      え?裸になってベッドに入れって、そんなこと、私、書いていませんけど? 「こちらにきて、私と一緒に横になりなさい」です。原文は、Mets la galette et le petit pot de beurre sur la huche, et viens te coucher avec moi(直訳:ガレットとバターは箱の上に置いて、私といっしょに寝るために来なさい)です。
      その後、Le Petit Chaperon rouge se déshabille, et va se mettre dans le lit, (赤ずきんは服をぬぎ、寝床に入ろうとしたら)、おばあさんが全裸なので驚いたのです。オオカミなので裸に決まってます。

      この赤ずきんは最初から最後まで、警戒心ゼロのおバカです。オオカミの隣にいるのに、オオカミに気づかないなんて。

      当時の良家の子女は、変なうわさがたつだけでも、致命的だったのではないでしょうか。自分だけでなく、家の名も汚れてしまいます。自分でお金を稼ぐことができないため、家柄のいい人の正妻になるのが、自分のためにも、実家のためにも、ベストの選択だったと思います。あるいは、ルイ14世など、力のある人の愛人になるとか。でもこの道は難しかったと思います。競争も激しいです。

      ペローも、サンドリヨンの教訓で、「後ろだては不可欠」と書いています。

  2. masausa より:

    これは失礼しました。文章を読んで自分が勝手にイメージしたことを文章にしてしまいました。伝承とはこうやって変化するのですね。

    • pen より:

      伝言ゲームはそうやって変化するかもですね。
      伝承話の場合は、話し手の意図や、環境によって変わるでしょうね。食べ物や動物など、その土地にあるものに置き換えられるでしょう。
      グリム兄弟は、ドイツの民話にこだわって収集しましたが、意外とシャルル・ペローの話が伝わっってた、なんてことがあるかもしれません。すぐそばですから。

  3. 通りすがり より:

    ちょっと気になって調べたのですが、ペロー版(“Petit Chaperon rouge,” 1697)でも、民話版(“Conte de la mère-grand”)でも、masausaさんが「付け足した」ように、赤ずきんは服を脱いでベットに入ることになっているそうです。もしかすると、masausaさんは、これらの版を読んだことがあったので勘違いしたのかもしれませんね。

    ただ、コメント欄でおっしゃっているように、そのようなイメージが出てきたのだとすると、その方が興味深いですね。もしかすると、無邪気に民話を口承で伝えて行くと自然と元の形に戻ってゆくのかもしれません。

    浦島太郎なんかもそうだったらしいのですが、この手の話が加工される前は、意外と性的なイメージを含んでいるものです。このあたり、スラッシャー映画などをみていると、必ずと言っていいほどいちゃついている奴が殺されるというパターンに近いものを感じます。

    これって人間の本能的な思考パターンなのでしょうか?それとも、これらの民話は性教育としての機能を持たざるを得ないので、そのような構成にならざるを得なかったのでしょうか。民話については、構造的な研究が結構なされていますが、頻出するモチーフになどについての体系的な研究があったら、ちょっと見てみたいですね。キリスト教による浄化前の民話には、モチーフの組み合わせにも何らかの法則があったりするのかもしれません。ユング派あたりが過去にこういう研究してそうですけどね…。

    • pen より:

      通りすがりさん

      こんにちは。記事を読んでいただき、ありがとうございます。

      私が読んだもの(記事にリンクを入れています)でも、「赤ずきんは服を脱いでベッドに入った」となっています。
      masausaさんへのコメントにそう書いています。
      masausaさんが誤解していたのは、おばあさんのふりをしていたオオカミのセリフの部分です。

      日本語の記事やコメントでも、ちょっとした思い違いはいくらでも起きるので
      伝承話が、いろいろ変わっていくのは当然ですね。

      >頻出するモチーフになどについての体系的な研究
      これはあるはずです。

      私は学問的な研究がしたいわけではないので、そこまで興味はありませんが。

      コメント、ありがとうございました。

      pen

タイトルとURLをコピーしました