グリム兄弟(グリム童話の編さん者)の経歴

古い本 グリム童話

シンデレラ、赤ずきん、白雪姫、ヘンゼルとグレーテルなど、世界中の子供たちに知られている童話がたくさん入っている童話集、グリム童話を編さんしたグリム兄弟の経歴を調べてみました。

年子の2人、ヤーコプとヴィルヘルム

グリム兄弟は、18世紀に生まれ、19世紀に活躍したドイツの文学者です。2人はとても絆が深く、生涯のほとんどを一緒に暮らしました。

2人は合わせて9人の兄弟姉妹のうちの2人です。早くに亡くなった子供もいるため、成長したのは6人です。

ヤーコプ(1785-1863)は長兄で、活動的。生涯独身でした。グリム童話においては、編さんを担当。言語学者でもあり、ヨーロッパの諸言語間の音韻規則(グリムの法則)を発見しました。また文献学者としても業績を残していますし、政治家としての仕事もしています。

ヴィルヘルム(1786-1859)は次兄。彼は病弱でしたが、兄に比べて、社交的な性格。1820年代の半ばに、家族ぐるみでつきあいがあった女性と結婚しています。おもに童話のりライトを担当。「ドイツ英雄伝説」という著書もあります。ヴィルヘルムは結婚したあとも、兄と一緒に住んでいました(ヤーコプが、ヴィルヘルム夫妻と住んでいたも言える)。

ともにハーナウというところで、法律家の息子として生まれています。裕福な家庭でしたが、父親が亡くなってから、お金に苦労しますが、伯母さんのおかげで、学業を続けることができました。

ドイツのナショナリズムの影響

シャルル・ペローは、ルイ14世の宮廷で、皆に楽しんでもらうことを主な目的として童話集を作ったので、伝承話に、自分でおもしろい要素を付け足して、より物語的な仕上がりにしています。

グリム童話は、そうではなく、伝わった話を忠実に再現することを心がけて作られたものです(多少の脚色はあるらしいです)。

なぜ、こんなものを作ったのかというと、もともと伝承話や伝説に興味があったからという理由があるでしょう。ヤーコプは、音韻の研究をするために、古い言葉までさかのぼってリサーチしていましたしね。

しかし、もっと大きな理由は、ドイツのナショナリズムです。当時、フランスや英国とは違い、国という形でまとまっていなかった、ドイツ語圏のアイデンティティの確立のために、彼らは、長い時間をかけて伝わってきた、ドイツのメルヘンを集めたかったのでしょう。

当時のドイツと呼ばれる地域は、フランス革命のあと、ナポレオンに占領されていたので、ナショナリズムがもりあがっていました。ドイツ・ロマン主義の時代で、民衆の文化を大事にしようという動きがあったのです。

グリム童話の前にも、ドイツのメルヘンを集めた本がいくつか出ています。グリム兄弟は、これをもっと徹底的にやったのです(たぶん、2人ともかなりの研究者気質、あるいはおたく気質だったと思います)。

最初は研究の書だった

グリム童話集、正式な名前は 『子どもと家庭のメルヒェン集』は、1812年に第1巻、1814年に第2巻が出ています。その後、7回、改訂されています。最終版は1857年に出版され、211の童話が収録されています。

最初は、研究の書という体裁で、イラストもついていませんでしたが、すぐに人気がでました。1823年には、イラストつきで英語にも翻訳され、ますます読まれるようになりました。

何度も改訂したのは、最初は想定しなかった子供たちが童話を読んだからです。よって、性的な部分、あまりに残酷な部分はトーンダウンされました(これを、ヴィルヘルムが行いました)

童話の収集には13年かかっていて、村から村へまわって、丹念に収集した、というイメージがあります。学生を村に送り込み、童話を収集させ、それをヤーコプがまとめ、ヴィルヘルムが童話として書き直したと言われています。

確かにそうやって集めた話もありましたが、実際は、数人の友だち(協力者)の中に、ものすごくたくさんの話を知っている人がいて、その人たちがかなりの部分の話を提供しました。ヴィルヘルムの奥さんもその1人です。

協力者たちも、自分で童話を収集していたのだと思います。

末の弟、ルートヴィッヒ

グリム童話をまとめたのは、ヤーコプとヴィルヘルムですが、末の弟、ルートヴィッヒ(1790-1863)は、挿絵を描いて協力しました。この人は、大学へは行っていませんが、美術学校の先生をしていた画家だそうです。

末の弟といっても、あまり年は離れていませんね。お母さんが子供を生んだタイミングを知りたくて、家系図を調べてみたのですが、1785,1786,1787,1788,1790,1793(1人だけ女の子)に生んでいます。もうびっくりです。よほど丈夫な方だったのか、昔はこれがふつうだったのか。

しかも、夭逝している子供がいるから、生んだのは9人ですからね。早死する子供が多かったから、昔は多めに生んでいたのでしょうが、本当に、昔の女の人は大変でしたね。

お母さんは、Dorothea Grimmという人で、1755-1804とありますので、ヤーコプを生んだときは、すでに30歳です。ヤーコプの前に、1783年にフリードリッヒという子を生んでいますが、この子は、4ヶ月ほどで亡くなっています。

最初の子だから、亡くなったときショックだったでしょうね。

家系図はこちらを参照⇒ Grimm Brothers – Biography & Facts about the famous fairy-tale collectors このサイトに子供は9人いたと書いてあるのです。家系図は小さくて見にくいので、拡大して無理やり見てみました。

ほかにウィキペディアも参照しました。Brothers Grimm – Wikipedia

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