天使の入江:ジャック・ドゥミ監督(1963)の感想。

ルーレット 映画のレビュー(一般)

ジャック・ドゥミの長編映画2作目の天使の入江(原題:La Baie des Anges)を見ました。

天使の入江、予告編

天使の入江、基本情報

  • La Baie des Anges  とは、ニースにある海岸通りの名前。登場人物がこの海岸沿いにあるカジノでギャンブルをします。
  • 脚本、監督:ジャック・ドゥミ
  • 撮影:ジャン・ラビエ
  • 音楽:ミシェル・ルグラン
  • 主演:ジャンヌ・モロー(ジャッキー)、クロード・マン(ジャン)、ポール・ゲール(キャロン、ジャンの同僚)
  • 上映時間:90分、モノクロ映画
  • 日本では劇場未公開(日本のウィキペディアにない^^;)

あらすじ

銀行に勤めるジャンは父親(時計職人)と2人暮らし。同僚のキャロンが車を買ってびっくりします。「同じ給料をもらっているのに、なぜこんなもの買えるの?」とジャンがたずねると、キャロンは「ギャンブルでもうけて買ったんだ」と言います。

話をきいてみると、キャロンはかなりギャンブルにのめりこんでいる様子。彼は、「土曜日にいっしょにカジノに行こう」とジャンを誘います。まじめで堅実なジャンは乗り気ではありませんでしたが、結局いっしょに行きました。

そのカジノで、ビギナーズラックでいきなり勝って、半年分の給料を1時間未満で得たジャンは、「こんなの、背徳だ」と言いながらも、ギャンブルっておもしろいなと感じます。

家に帰って、父親にギャンブルをしたことを話すと、いきなり「出ていけ」と言われます(それ以前のシーンで、父親から、ギャンブルなんてやるな、親戚のだれそれが、一生を棒にふった、と説教されています)。

たまたま、給料をもらって、休暇(2週間)に入っていたジャンは、ギャンブルをするために、ニースのホテルに泊まり、カジノに向かいます。

そこで彼は、ジャッキーという、ギャンブル依存症の女性と知り合い、一緒にギャンブルをしつつ、恋人のような関係にもなり、カジノで勝って大儲けしたり、負けて一文無しになったりを繰り返します。

ストーリーはシンプル

この映画、登場人物はとても少なく、何度か登場するのは、ジャッキー、ジャン、キャロン、ジャンのお父さん、ジャンの止まるホテルの受付にいる女性ぐらいです。

ほとんどが、ジャッキーとジャンのやりとりで、2人がカジノでルーレットしたり(ギャンブルシーン多し)、一緒にホテルに帰ったり、パブでお酒を飲んだり、海岸で話したりするシーンが続きます。

ギャンブルで買って、負けて、買って、負けてを繰り返し、2人の中も、くっついたり、離れたり、またくっついたり、離れたりします。

たったそれだけのことなのに、1時間半、飽きさせずに見せるどころか、かなりおもしろい映画になっています。

直感を信じたいジャン

この映画を語るとき、たいていの人が、ジャンヌ・モロー演じる、ジャッキーの話をすると思います。確かに、ジャッキーはこの映画の主役で、いわゆるファム・ファタール(運命の女、魔性の女、男を破滅させる女)です。

ギャンブル中毒のヘビー・スモーカー。男をふりまわしつつも、純粋なところもあるジャッキーは、モローの魅力がよく出ていて、はまり役だと思います。

しかし、私はあえて、ジャンという内気な青年のほうに注目したいです。彼は、ふだん、自分の本心をあまり口にしない、よく言えば、クール、悪く言えば、何を考えているのかよくわからない、タイプです。

決して口数が少ないわけではありませんが、自分の気持ちや考えはあまり言わず、たいてい、ジャッキーにいろいろな質問をしています。

彼は、カジノでは、どの数字にチップを置くか、迷わず言い切り、その数字がよく当たります。しかも、切り上げ時を心得ていて、調子がいいそのときに、「もう運は尽きた」とさっと席を立ちます。

ジャンは直感を信じている(または、信じたい)のです。

ジャンは、ジャッキーとのつきあいも直感的に行っています。

途中で、何よりもギャンブルを愛しているジャッキーに、「きみにとって、僕は何?」と切れる場面もありますが、彼が、自分の気持ちをばしっというのは、このシーンと、お父さんとプチなけんかをしたときぐらいです。

彼は、直感を信じることが大きくものを言う、ギャンブルの世界と、その世界を体現する女、ジャッキーにひかれているのでしょう。

ギャンブルを愛しているジャッキー

ジャッキーは以前結婚していて、3歳ぐらいの男の子もいますが、ギャンブルが好きすぎて、離婚に至り、いつも1人で、カジノに通っています。一応、バッグには、息子の写真を入れていますが、子供のことなんてめったに考えません。

何かに依存している人は、その対象を好きであると同時に、憎んでもいると思いますが、ジャッキーの場合、ギャンブルを愛し、崇拝しています。

ジャッキーは、スーツケースの中に、小さいおもちゃのルーレットを入れていて、よくこのルーレットで遊んでいると言います。パブでも、お酒を買うお金がないときは、スロットマシーンで稼ぎますから、筋金入りのギャンブル好きです。

予告編の46秒ぐらいのところで、ジャッキーが、ギャンブルを好きな理由を語っています。

Ce que j’aime justement dans le jeu, c’est cette existence idiote faite de luxe et de pauvreté …

(私が賭け事を好きなのは、贅沢と貧乏を繰り返す、ばかばかしい生き方ができるからよ)

この文章は、pauvretéのあと、et aussi de mystère, le mystère des chiffres, le hasard. と続きます。「そして、その神秘が好きなの。数字の神秘、偶然のね」。

ジャッキーは、ギャンブルは自分にとって宗教みたいなもので、カジノは教会だ、お金とかぜいたくとか、そんなものにはなんの興味もないと言います。

予告編の1分20秒あたりのセリフは、

Puisque cette passion m’aide à vivre pourquoi m’en priverais-je au nom de qui, de quoi de quelle morale ? Je suis libre.

『この(ギャンブルに対する)情熱が私が生きるのを助けてくれているのよ。誰の名前、何に、どんなモラルによって、自分を奪われなきゃいけないの? 私は自由よ』。

私からすると、何かに依存している人は、決して自由ではないと思いますが、ジャッキーにとって、ギャンブルは愛すべき存在なので、自由なのでしょうね。

運と直感を頼りに疾走するカップル

この映画に出てくるギャンブルはルーレットで、スキルは関係なく、すべては運で決まります。

ジャッキーも、ジャンも、努力とか、前向きに生きるとか、命や時間を大事にしょうとか、そういうのはいっさい関係ない刹那的な世界に生きています。

一度、ものすごく大儲けしたとき、2人は高級なレストランで食事をしますが、ジャンが、「こんなこと、アメリカ映画の中でだけ起きると思っていた」と言います。

映画の中でしか起きないことが、ギャンブルをすれば体験できる。しかも、大負けもしますから、これまた映画の中でしか起きないような悲惨さも体験できる。

そんな退廃的な生活をするカップルをスタイリッシュに、疾走感のある映像で(しかしおしゃれになりすぎず)描いた映画です。

ミシェル・ルグランのドラマチックな音楽がギャンブルの高揚感をよく表しています。

セリフをもっとチェックしたいので、シナリオ本があるといいのですが、そもそも日本では公開されなかった映画だし、アメリカでも、何十年も見ることができなかったようなので、そんな本はないでしょうね。

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