一つ目、二つ目、三つ目(グリム兄弟、1819)のあらすじ。

グリーンアップルを持った女性 グリム童話

グリム童話から、『一つ目、二つ目、三つ目』というお話を紹介します。

原題は、Einäuglein, Zweiäuglein und Dreiäuglein 英語のタイトルは One-Eye, Two-Eyes, and Three-Eyes

目の数が違う三姉妹の話です。シンデレラに似た話ですが、主人公は3姉妹の真ん中です。

1行のあらすじ

目が2つで、普通すぎるため、母親や姉妹にいじめられていた3姉妹の真ん中の娘が、仙女(魔法使い)やヤギによって、幸せになる話。

目が2つある娘

あるところに3姉妹がいました。長女は額に目が1つ、次女はふつうに目が2つ、三女は三つ目(2つはふつうに並んでいて、その上に目がもう1つある)でした。

次女は、ほかの人間と同じ二つ目なので、「平凡このうえない」と、母親や姉妹からいじめられていました。

ボロを着せられ、家事を全部押し付けられ、食べ物は残りものをちょっぴりもらえるだけ。

二つ目は、いつもおなかをすかしていました。

仙女

あるとき、ヤギを外に連れ出して(ヤギの世話も次女の仕事)二つ目がひもじくて泣いていると、目の前に女性が立っています。

女性「二つ目ちゃん、なぜ泣いているの?」

二つ目「食べ物をちょっぴりしかもらえなくて、おなかがすいて死にそうだから」

女性「大丈夫よ。ヤギに向かって。こう言いなさい。ヤギさん、め~~~、テーブルよ、出ろ!と。すると食べ物が出てきます。食事が終わったら、ヤギさん、め~~~、テーブルよ、消えろ、と言ってね」。

そう言うと女性はどこかへ行ってしまいました。

ごちそうがのったテーブル

半信半疑ながらも、二つ目が、言われたとおりにしたら、本当にごちそうがいっぱいのテーブルが出ました。

ごちそうをたらふく食べたあと、「ヤギさん、め~~~、テーブルよ、消えろ!」と言ったら、テーブルは消えました。

その日、二つ目はおなかがくちていたので、帰宅したあと、残り物の皿には手をつけませんでした。

そんなことが数日続いたので、母親や姉妹は、二つ目が、どこかで食べ物を得ているに違いないと思い、真相を突き止めることにしました。

姉と妹の計画とヤギの運命

まず一つ目が、ヤギを連れ出す二つ目と、一緒に野原に行くことにしました。見張るためです。

二つ目は、姉の考えがわかっていたので、歌を歌って、姉を眠らせることにしました。

「一つ目ちゃん、起きてる? 一つ目ちゃん、もう寝た?」

こんな感じの歌です。

一つ目は、あっさり眠ったので、二つ目は、その間にテーブルを出し、ごちそうを食べました。

家に帰った一つ目が、「寝てしまって、わからなかった」と言ったので、母は、今度は三つ目を偵察につけることにしました。

二つ目は、三つ目に対しても、眠らせる戦法をとり、歌い始め、三つ目が寝たのを見計らって、テーブルを出しました。

しかし、三つ目は、ふつうに並んでいる2つの目は寝ていたものの、上にあるもう1つの目は起きていたので、二つ目が、ヤギにテーブルを出してもらったところをしっかり見ていました。

帰宅後、三つ目から事情を聞いた母親は、たいそう怒りました。

「私たちよりいい生活をするなんて、許せない。そんなことはさせやしないよ」。こう言うと、母親は、包丁でヤギを刺し殺しました。

仙女のアドバイス

頼みのヤギを殺されてしまった二つ目が、外で泣いていると、またしても例の女性が現れました。

女性「二つ目ちゃん、どうして泣いているの?」

二つ目「大事なヤギを殺されてしまいました。もう、テーブルを出せません……おなかがすいて死にそうです」

女性「大丈夫よ。死んだヤギのはらわたを入り口のそばの地面に埋めれば、いいことがあるわよ」

金の果実

二つ目が、姉たちにはらわたをもらって、外に埋めた翌朝、その場所に、立派な木が立っていました。

銀色の葉があるその木には、金の果実がなっています。

それを見た母親は、一つ目と三つ目に、果実をもぐよう言いましたが、2人が果実をもごうとするたびに、枝は逃げてしまって、もげません。

この木は「元ヤギのはらわた」なので、二つ目しか果実をもげないのです。

二つ目は、たくさん果実をもいでエプロンにいっぱい入れましたが、すべて母親に取り上げられました。

二つ目しか果実をもげないことに、母親は怒り、ますますいじめがひどくなりました。

騎士、現る

あるとき、家族で不思議な木のそばに立っていると、若くてハンサムな騎士が通りかかり、珍しい木に目をとめました。

騎士:「お礼はたっぷりはずむから、枝を1本くれないか」

一つ目と三つ目:「もちろんですわ。これは私たちの木ですもの」

こう言うと一つ目と三つ目は必死で枝を折ろうとしましたが、手を伸ばすたびに、木は向こうにそれてしまいます。

姉と妹に言われて、目立たない場所にいた二つ目だけが、枝を折ることができました。

枝をもらった騎士:「ありがとう。お礼は何がいい?」

二つ目「どうぞ私をここから連れ出してください」

騎士は、彼女を馬に乗せて、自宅(お城)に連れ帰りました。

ハッピーエンド

お城で、おいしいものを食べて、顔色がよくなり、美しいドレスに着替えた二つ目は、すっかりプリンセスのようになります。その美しさに心をうばわれた騎士と結婚し、何不自由のない暮らしを始めました。

家に残された姉妹は、「私たちも、木のそばに立っていると、結婚相手に巡り会えるかもしれない」と思い、外に出たところ、木が消えています。

実は、「元ヤギのはらわた」のこの不思議な木は、二つ目のあとをついて、お城に行ってしまったのです。

二つ目がいなくなってから、一つ目、三つ目の運は急速に悪くなります。とうとう2人は食べるものがなくなり、物乞いになりました。

家から家へ、物乞いして歩いていた一つ目と三つ目は、二つ目が嫁いだお城にもやってきました。

2人が自分の姉妹だとわかった二つ目は、2人をやさしく中に迎え入れたので、一つ目と三つ目は、かつて自分たちがしたことを深く悔いました。

原文(英語)⇒Brothers Grimm fairy tales – One-Eye, Two-Eyes, and Three-Eyes

この童話の教訓

差別してはいけない

自分と見かけの違うものを差別すると、ひどい目にあう、というのがこの話の最大のメッセージでしょう。

見かけが違っても、考え方が違っても、お互いに尊重しあうべきなのです。

自分とちょっと違う人間に違和感を抱き、時に迫害することは、今の人間もふつうにやっているので、この話はずっと生き続けるでしょう。

普通が一番いい

一つ目と三つ目は、自分がほかの人間と違うので、「私たちはすごい」と思っていましたが、幸せになったのは、10人並みだった二つ目です。

目の数は、あくまでその本人の個性にすぎず、たまたま生まれつきそうだったのだから、そのメリット(本人たちにとっては)を、自分たちのパワーの拠り所や、特権を駆使する理由にするべきではありません。

目の数と言えば、母親の目の数の説明はいっさいありませんが、二つ目を、「普通すぎる」と言っていじめていたのだから、母親も、二つ目ではなかったのでしょう。

絶望してはいけない

二つ目が泣いていたら、仙女が2度も助けてくれたことは、「どんなにつらくても、がんばっていれば、助けの手がさしのべられる」と教えてくれています。

つらくても、希望を失うべきではありません。

油断禁物

二つ目は、三つ目に子守唄を歌ったとき、うっかり、3つ目の目のチェックを怠ってしまいました。

自分が二つ目だから、寝てるときには、目は全部寝るものだ、と思ったのでしょう。

こうした油断は、ときに、災難を招きます。

*****

この話は、1816年にドイツで出版された別の童話集にのっていたものを、グリム兄弟がちょっと書き換えたものです。

「金の果実」が、「りんご」になっている時もあります。

ごちそうがのっているテーブルが出てくるほかの童話⇒おぜんやご飯のしたくと金貨を生む騾馬と棍棒袋から出ろ(1812, グリム童話)のあらすじ ☆この話にもヤギが出てきます。性格に問題のあるヤギですが。

コメント

  1. 若林ちずこ より:

    一つ目二つ目三つ目の話は昔本で読んだ覚えがありました。
    今読んでみると、日本の「花咲か爺さん」の話が結構似てますね。

    ①大判小判を掘り当てる犬
       →食事を出してくれるヤギ
    ②死んだ身体を埋めたら木が生え、その木で臼を作り餅をつくと大判小判が出る
       →埋めたら木が生え金の果実をつける
    ③臼を燃やされた灰を撒くと花が咲き、殿様に褒美を貰う
       →木の枝の果実を騎士に捧げることが出来た事で結婚し幸せになる

    もっとも、ここで出てくる意地悪爺さんは、失敗した後は酷い目に遭うだけで
    改心して正直爺さんに謝り受け入れられる、というような展開はないですが
    これはやはり日本にキリスト教的な側面がないからでしょうか。
    色々考えさせられました。

    また、カチカチ山の話が、元は
    捕まって狸汁にされそうだった狸が
    婆さんを殺して狸汁として爺さんに食べさせた事で
    その復讐をされ、背中を燃やされたり泥舟で沈んで死んだりする話だったのが、
    子供向けにマイルドになって
    婆さんを痛めつけて(死んでない)逃げた狸を追っていくうさぎに
    背中燃やされ泥舟で沈みそうになり「もう悪い事はしませーん」と泣きついて助けてもらい改心する
    みたいな話に変わっているとの話を聞いた事がありましたが
    これは逆にキリスト教的な赦しの精神が反映されたのかな、とか考えました。

    「泣いた赤鬼」の話は日本に流れ着いた西洋人二人の話かな、とか
    お腹を空かせた旅人に熊や狐のように何も差し出せなかったうさぎが
    「せめて私を食べて下さい」と火の中に飛び込んで身を捧げた話では
    本来の意味は「身体を捧げたのかしら」と読んでみたり
    寓話や童話やお伽話を自分なりに読み解くのは元々好きなので
    非常に興味深くページを拝見させて頂きました。

    もとはキューピッドが誤って矢で傷ついて恋におちた女性と
    最後はどうなったのか、というふとした疑問からこちらのHPに訪れました。
    シンデレラや人魚姫等本当に面白く読ませていただきました。
    どれも本当に色々面白く、どうしてもコメントをお伝えしたくて書き綴ってしまいました。
    このようなHPを作成頂きありがとうございました!

    • pen より:

      若林さん

      はじめまして。コメントありがとうございます。
      記事、いろいろと読んでくださったのですね。
      まあ、私の記事がおもしろいというより、昔話や童話がおもしろいのだと思います。

      似たような話が、世界各国の文化の中で独自の話になっていておもしろいですよね。

      pen

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