オスカー・ワイルドの童話集、The Happy Prince and Other Tales から The Nightingale and the Rose(ナイチンゲールとバラの花)のあらすじを紹介します。
簡単な要約
好きな女性とダンスするため、赤いバラをほしがっている学生のために、ナイチンゲールが自分の身を犠牲にして、バラを用意するも、結局、そのバラは道端に捨てられる話。
バラの花がないと嘆く学生
ある男子学生が庭で嘆いていました。
「赤いバラを持っていったら教授の娘は僕と踊ってくれると言ったけど、なんてことだ。僕の庭には赤いバラがないじゃないか。
あんなに哲学の本を読んだのに、たった1輪のバラのために、僕の人生はめちゃくちゃだ」。
その言葉を、ナイチンゲールがオークの木にとまって聞いていました。
「ああ、とうとうここに真の恋人がいる」、こうナイチンゲールは思いました。ナイチンゲールは、愛はどんな宝石よりも尊いと考えていました。そもそも、愛はお店には売っていません。
その後も、学生は、バラさえあれば、どんなふうに意中の人を腕に抱き、楽しく踊ることができるだろう、などなど、バラを持っていったら、パーティで起こるだろうことを想像して、細かい描写を続け、しまいには泣き出します。
とかげたちは理解できない
「あいつ、いったい、何泣いとんねん?」
そばにいた、とかげやちょう、デイジーは、不思議がっています。
「赤いバラのことで泣いているのよ」とナイチンゲールが答えると、「赤いばら~?? なんじゃそれ。そんなことで泣く人おるわけ?」と、とかげは笑い出しました。
でも、ナイチンゲールは、学生の嘆きの源(みなもと)をよく理解していました。
そして、翼をひろげて赤いバラを探しに大空に飛び立ちました。
赤いバラをさがすナイチンゲール
ナイチンゲールは、あるバラの木のもとに行き、「赤いバラをくださいな。その代わり、私が美しい声で歌いますから」と頼みました。
「あいにく、わたしは白いバラなんだよ。花時計のそばにあるわたしの弟のところへ行ってみたら? きみの欲しいものがあるかもしれない」。
そこで、ナイチンゲールは言われたバラの木へ言って、同じように頼みました。
「わたしは黄色いバラなんだよ。学生の家の窓の下にある、わたしの弟のところに行ってごらん。きみの欲しいものをくれるんじゃないかな?」
ナイチンゲールは学生の家の窓の下にあるバラの木のところへ行き、赤いバラを所望しました。
赤いバラの作り方
バラ:「確かに私は赤いバラだが、いまは咲いていないんだよ。冬の寒さでわたしの血管が縮こまり、霜でつぼみが枯れてしまってね」。
鳥:「たったひとつだけでいいのです。赤いバラを1つだけ。なんとか手に入れる方法はありませんか?」
バラ:「あるにはあるが、おぞましい方法なんで、ちょっと言えないな」
鳥:「教えてください! 私は何も恐れません」
バラ:「赤いバラがほしいなら月光の音楽から作るしかないんだ。つまり、夜、月が出ているあいだに、わたしのとげに、きみが胸をぎゅっと押しあてて、歌い続ける。君の血で赤いバラを作るんだ。きみは私に歌う必要があるし、とげは、君の心臓を貫かねばならない。するときみの血がぼくの血管に流れ込んで、赤いバラが咲く」。
赤いバラのために、死ぬ価値がある、とナイチンゲールは考えました。「生命はとてもすばらしいものだけど、愛は生命よりもっとすばらしい。人間の心臓に比べたら、鳥の心臓なんて何ほどの価値もないわ」。
我が身を差し出すナイチンゲール
その夜、ナイチンゲールは赤いバラの木のとげに、自分の胸をぐっと当てて、歌いはじめました。
「ナイチンゲールよ、もっと強く、とげに胸を押し当ててくれ。そうしないと、陽がのぼるまでに、バラができあがらない」。
そうバラの木が言ったので、ナイチンゲールは、もっとしっかり、とげに胸を押し当て、より大きな声で歌いました。
すると、うすピンクのバラの花が咲き始めました。
「ナイチンゲールよ、もっと強く、もっと強く、胸を押し当てて!」
ナイチンゲールはさらに、胸をとげにプッシュしたので、とげはナイチンゲールの心臓を貫き、鋭い痛みが走りました。それでも、ナイチンゲールは木にしっかりつかまって、より大声で歌い続けます。
ナイチンゲールは、死で完璧になる愛の歌を歌い続けました。
バラは、だんだん赤くなっていきました。ナイチンゲールの歌声はかぼそくなります。翼がわななき、目はかすみ、何かがのどにつまったような気がしました。ナイチンゲールは最後のちからをふりしぼって、歌います。
白い月もその歌声を聴き、夜明けだということを忘れ、空にとどまっていました。
「見て、見て、赤いバラだ! 終わったよ!」。バラの木が叫びましたが、ナイチンゲールの返事はありません。というのも、鳥は、草の上で死んでいたからです。胸にはトゲがささったままで。
捨てられる赤いバラ
学生が窓をあけると、そこに赤いバラがあります。
「ああ、なんて幸運なんだ。ここに赤いバラがある。こんなにきれいなバラは見たことがない。きっとこのバラには長いラテン語の名前がついているはずだ」。
そう言うと学生はバラを摘んで、帽子をかぶり教授の娘のところへ行きました。
学生:「赤いバラを持ってこれば、ぼくと踊ると言ってくれましたよね。ここに、どこまでも赤いバラがあります。今夜、胸につけてください。そして僕と踊りましょう」。
娘:「(不愉快そうな顔で)そのバラ、わたしのドレスの色には合いませんわ。それに、チェンバーレイン家のいとこの方が、本物の宝石を贈ってくださったの。宝石のほうが花なんかより、ずっと高いこと、誰だって知っていますわよね?」
学生:「なんだって。きみはなんて恩知らずなんだ!」
学生は怒って、バラを道端に投げました。すぐにその上を車輪が走っていきました。
娘:「恩知らずですって? なんて無礼な人なの。そもそも、あなた何さま? ただの学生でしょう。 あなたの靴には、チェンバーレイン家のいとこの方みたいに、銀のバックルがついてないでしょう?」
こう言うと娘は家の中に入ってしまいました。
学生:「愛とはなんと馬鹿げたものなんだ。論理の半分も役立たない。愛は何も証明できないからね。いまは実用的なものが大事な時代だ。僕は哲学に戻ろう。形而上学の本を読もう」。
学生は部屋にもどって大きな本を取り出すと読み始めました。
原文はこちら⇒ Short Stories: The Nightingale and the Rose by Oscar Wilde
ナイチンゲールが作り出したもの
なぜ、ナイチンゲールは、自分の命とひきかえに、赤いバラを作ったのでしょうか?
ナイチンゲールは、学生を好きだった、それは無償の愛による、自己犠牲だ、と言う人が多いです。
私はナイチンゲールはべつに学生が好きだったとは思いません。
彼女は、真実の愛を求めていて、赤いバラがあれば、学生の真実の愛が、完璧なものになると考えたのです。
つまり、彼女が作り出したかったのは、真実の愛そのものです。
物語の冒頭、学生が、バラの花がなくて悲しいだのなんだの、嘆いていますが、本当に誰かを愛している人は、そんなことを大声で、わざとらしくぶつくさ言いません。
この物語にでてくる学生も娘も、かなり自己中心的です。このような人の心に、真実の愛はやどりません。
ナイチンゲールはロマンチストだったので、そういう人にも、真実の愛があると思ってしまったのでしょう。
だからと言って、ナイチンゲールの行為が無駄だったとは言いません。彼女は愛が欲しくて、自分で愛を作ったのです。
それは芸術のための芸術(芸術至上主義)を追求したオスカー・ワイルドの姿そのままに思えます。
べつに何の役にたたなくてもいいから、芸術を作りたい、だから私は芸術を作るんだ、それはお金や、学問なんかを超越したところにあるんだ、そうワイルドは言いたいのではないでしょうか?
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原文はとても美しいので、よかったら原文を読んでみてください。
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