おろかな願い (1693, シャルル・ペロー)のあらすじ。

レバーソーセージ ペロー童話

シャルル・ペローの Les souhaits ridicules のあらすじを紹介します。日本語のタイトルはまちまちで、「3つの願い」「こっけいな願い」という訳もあります。

とても短い童話です。

1行のあらすじ

ジュピター(神様)から、3つの願いを叶えてやると言われた貧しい木こりが、その願いをふいにしてしまった話。

前口上

(最初にペローの前口上みたいなのがあります)。

あなたが、あまり分別のない人なら、これから話す、ばかばかしくて、さして上品でもない話をするのは差し控えたいと思うのですが、この話は1メートルほどの腸詰め(boudin)の話なのです。

「1メートルの腸詰め! なんて恐ろしい!」と、才女ぶったご婦人が叫びましたが、物語を美しくするかどうかは、テーマよりも、語り方にかかっているのですよ。

ジュピターとの出会い

昔むかし、貧乏な木こりがいました。生活がきついため、彼は疲れはてていて、よみの国の川のほとりで休みたいなどと思っていました。

あるとき、森で、「だいたい、これまで、神さまに願い事の1つも聞いてもらったことがないし」、と木こりがぶつぶつ文句を言っていたら、突然、ジュピター(ローマ神話の最高神)が、雷をもって、現れました。

木こりはおそれおののいて、地面にひれ伏し

「す、すみません。私は何もほしくなどありません。どうか、雷だけはご勘弁願います!」と頼むと、ジュピターが

「こわがらなくてもよい。私はおまえの文句を聞いてやってきた。あれじゃあ、まるで私が役たたずみたいじゃないか。私はこの世の支配者だ。お前の願いを3つ叶えてやろう。

お前の幸福はこの願いごとにかかっているから、願いごとをする前によく考えるように」と言って、去っていきました。

妻の提案

木こりは喜んで家に帰りました。

「願いごとをする前によく考えなければ。妻の意見も聞かないとな」と思って。

帰宅すると木こりは妻にことのしだいを話しました。妻は、わりと頭がまわる人で、「せいてはことを仕損じる、願い事はゆっくり考えたほうがいいよ、1つ目の願いごとは明日しましょう」、と提案しました。

木こりもそうすることにし、かまどのそばで暖まりながら、お酒を飲み始めました。

長い腸詰め

木こりは椅子の背中にもたれて、こう言いました。

「ああ、いい火だな~。こんなときは、1メートルほどの腸詰めがあるといいなあ!」

この言葉が終わるとすぐに、とても長い腸詰めが、かまどのはしから出てきて、蛇のようにうねうねと近づいてきたので、奥さんはびっくりして叫び声をあげました。

「あんた、バカじゃない? なんてあほらしい願いごとをするのよ。1つの国、金、真珠、ルビー、ダイヤモンド、きれいなドレスだって頼めたのに、よりによってこんな腸詰めを頼むなんて!!」

2つ目の願いごと

木こりは、自分の失敗に気づき、「今度こそ、うまくやるよ」、と言いましたが、奥さんが、「期待できないわ、あんたは、本当に間抜けだわ」、と言ったので、すっかり頭にきて

「男なんて苦しむために生まれてきたのさ。くそ、腸詰めなんてどうでもいい。あいつの鼻の先にぶらさがってしまえ!」と怒鳴りました。

すると、怒っていた妻の鼻先に、腸詰めがくっついてぶらさがりました。

腸詰めのせいでせっかくの妻の美貌は台無し。しかし、腸詰めが邪魔で、妻は話もしにくくなったので、木こりは、これは好都合だと喜びました。

3つ目の願いごと

「最後の願いごとで、王様にしてもらおう」。こう木こりは考えましたが、王妃のことに考えが及びました。

1メートルもある鼻をつけて、王妃になると、王妃さま用の椅子に座るのも大変だ。王妃さまになるのと、前のようなふつうの鼻にもどって、木こりの妻でいるのと、どちらがいいか、聞いてみよう。

妻は、醜い姿で王妃になるより、木こりの妻のままでいることを選んだので、結局、木こりは何も変わりませんでした。

王様にもならず、金持ちにもならず、最後の願い事で、妻の姿を元に戻して、ありきたりの幸福を得たて、木こりは満足でした。

ペローの教訓

下劣で無知で軽率で、落ち着きのない気まぐれな人間には、願いごとなんてできないのです。

そんな人たちの中でも、ごくわずかな者が、神が授けた才能をうまく使うことができるのです。

☆原文(フランス語)はこちら⇒Les Souhaits Ridicules

高望みはしないほうがいい

この話から、いろいろな教訓が引き出せると思います。「願いごとをする前に、酔っ払っちゃいかん」、とか。

私は、「完璧主義に陥るべきではない」、という学びを得ました。木こりと妻は、自分たちが幸せになれる最強の願いごとをするために、一晩寝てから、願いごとをすることにしたのですが、そんな大それたことは考えず、手近な願いごとをしておけばよかったのです。

とりあえず、生活に困らない分のお金を得ておいたり、住みやすい家にしておいたり、前からずっとほしかった物を出してもらったりして、さっさと終わらせればよかったのに。

願いごとについて考えれば考えるほど、今、自分が持っていないものや足りないものに目がいってしまうので、「ボーナスが出たら買いたいもの」程度のものをもらって、神様との取引はさっさと終わらせたほうがよかったと思います。

上を見たらきりがないし、仮に、「神様になる」という最強に思える願いごとをしたところで、幸せにはなれないと思います。パワーをもてばもつほど、心配ごとが増えますからね。

ブーダンについて

この話に出てくる腸詰めは、boudin で、豚の血と脂身で作るソーセージです。この記事のトップの画像にそれらしいものを使ってみました。香草も入っているそうですが、私にはとても食べられそうにありません。

家畜を無駄なく利用する食べ物として、昔から作られていました。好きな人はとても好きなようで、プチ・ニコラ(Le Petit Nicolas)にも、クリスマスにブーダンを食べるのが楽しみだ、といったくだりが出てきたと記憶しています。

木こりが、「ブーダンがあったらいいなあ」と思ったのは、かまどの火がちょうどいい塩梅だったので、ブーダンをあぶって食べたかったからだと思います。

語り方が大事

テーマより、いかにそれを語るかが話のおもしろさを決める、とペローは言っています。童話も、似たようなテーマがいっぱいあって、国や文化、時代によって、語り方が違っています。それぞれ、おもしろいので、ペローの言うことは合っていますね。彼は慧眼(けいがん)のある作家だと思います。

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