グリム兄弟の童話からちょっと怖いお話を紹介します。ディズニーの映画にはまずなりそうにないもので、とても短い童話です。英語のタイトルは、Death’s Messengers(死神のメッセンジャー)。
巨人に痛めつけられる死神
大昔のこと、ある巨人が街道を歩いていたら、突然知らない人が、彼にとびかかり、「止まれ、これ以上一歩も進むな!」と叫びました。
「は? 俺様が指で押しつぶせるような者が何を言うか。俺の行く手をふさぐだと? いったい、お前は、何さまだ?」
「私は死神だ。誰も私に逆らえない。おまえも、私の命令には従わなければならない」。
しかし、巨人はこの言葉を無視し、死神をねじ伏せ、石で殴り倒し、そのまま街道を進みました。
死神はよれよれになって立ち上がれません。
「いったい、何ということを。私がここに寝たままでいると、誰も死にやしない。そこら中、人間だらけで、立っている場所がなくなるぞ」、こう死神はひとりごちました。
死神を助ける若者
そこへ、健康で元気な若者が歌を歌いながらやってきました。半分意識を失っている人がいるので、彼は、そばに行き、立ち上がらせて、水を飲ませ、介抱しました。
「きみが助けた者が誰か知っているか?」その人は若者に聞きました。
「知らないけど?」
「私は死神だ。私は例外なくすべての人のところへ行く。もちろんきみのところにも。しかし、きみは私を助けてくれた。お礼に、きみのところに行く時は、先に使いの者を送ると約束しよう。突然行ったりはしないからね」。
「それはよかった。あなたが来る時がわかるなら、それまで俺は安全ということだね」。
そう言うと、若者はごきげんな気分でその場を立ち去りました。
約束を守った死神
若者は、明日のことを思いわずらうことなく、その日、その日を、楽しく暮らしました。しかし、若さも健康も永遠には続きません。彼は、いつのまにか病気になり、痛みのせいで苦しみ、夜も、よく眠れなくなりました。
「俺は死にはしない。死神はまず使いをよこすって言っていたから。それにしても、この病気、早く治ってくれないかな」。
体調がよくなったので、彼はまた、のんきに暮らしはじめました。ある日、誰かが彼の肩をたたきます。
元若者が、あたりを見回すと、死神が後ろに立っていました。
「ついてこい。きみがこの世を去るときが来た」、死神は言いました。
「何だって? 約束はどうなった? 先に使いの者をよこすと言ったじゃないか!」
「黙るんだ。私は使いを次々と送ったはずだ。熱が出て、体が震え、寝込んだだろう? めまいでふらふらしなかったか? 痛風で足が痛くならなかったか? 耳鳴りはしなかったか? 歯は痛くならなかったか? 目はかすまなかったか?
何より、私の兄弟の「眠り」が、毎晩、きみに、私のことを思い出させたはずだ。夜、まるで、もう死んでいるかのように、きみは横たわっていたんじゃないのか?」
元若者は、返答できません。彼は、運命を受け入れ、死神のあとをついて行きました。
■原文はこちら(英語です)⇒ Grimm 177: Death’s Messengers
教訓
さて、この童話の教訓は何でしょうか? 「病気の症状が出たら、ちゃんと手当して、ちょっとよくなっても、油断せず、節制して暮らしなさい」かもしれません。
この若者は人はいいけれど、のんきで、その日暮らしなタイプです。このような、「アリとキリギリス」のキリギリス的なライフスタイルを戒めているとも言えます。
また、「誰かと約束したからと言って、全面的に相手に頼ってはいけない」という教訓もあります。相手が約束を守るとは限らないし、どの程度守れるかもわからないので、自助努力が求められます。
「約束の内容をしっかり確認したほうがいい」という教訓もあるでしょう。死神が使いの者を送ると言ったとき、若者は、人間っぽい生き物がやってきて、「あなたはもうすぐ死にますよ」と伝えてくれると思っていたのです。
ところが、死神の使いは、熱や痛み、耳鳴り、不眠などでした。両者にとって、「メッセンジャー」の意味するところが違っていました。約束するときは、細部まで詰めて、誤解のないようにすべきなのです。
「人はいつか必ず死ぬ」というのもありますが、これは教訓ではなくて、厳然たる事実です。私たちは、自分が死ぬとはなかなか思わないようにできていますけれど。
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