ガチョウ番の女(グリム兄弟、1819)のあらすじ。

ガチョウ グリム童話

グリム童話から『ガチョウ番の女』、ドイツ語:Die Gänsemagd、英語:The Goose Girl のあらすじを紹介します。『ガチョウ番の娘』と訳されることもあります。おとぎ話の要素がそろっている話でわりと人気があります。

簡単な要約

忙しい人向け1行サマリー:悪人の侍女の策略で、ガチョウ番に甘んじることになったおひめさまが、最後にはみんなにおひめさまだとわかってもらえて幸せになる話。

遠くに嫁入りに行くおひめさま

昔、夫を亡くして久しい女王がいました。女王には美しい娘がいて、遠い国の王子の嫁になることが決まります。女王は娘のために、宝石など、プリンセスが嫁入りするときに持っていきそうなものを準備します。女王は娘を深く愛していました。

嫁入りグッズのほかに、女王は娘についていく侍女を1人、娘と侍女それぞれに馬も用意。王女用の馬の名はファラダで、なんとこの馬は人間の言葉をしゃべります。

出発の朝、女王は、ナイフで自分の指先を切って、白いハンカチに押し当て、血を3滴つけ、娘にあげました。「これを大事に持っていなさい。きっとあなたの役にたちます」と言って。

おひめさまにさからう侍女

王女は、ハンカチをドレスの胸元に入れて出発しました。しばらくすると、王女はとてものどが乾いたので、侍女に、「馬からおりて、私に水をくんできて。のどが乾いたわ」と言いました。

侍女は「のどが乾いたのなら、馬からおりて自分で飲んできなさいよ。あたし、あんたの召使いなんてもうしないから」とのたまいます。

とてものどが乾いていた王女は、馬からおりて、川岸にひざまずき、手ですくって水を飲みました。王女が、「ああ、神さま!」と嘆くと、ハンカチについた血が、「お母様が知ったら、お心を痛められることでしょう」と答えました。

大事なハンカチをなくすおひめさま

王女は、控えめな性格だったので、何も言わずまた馬に乗り、先を進みました。この日は暑かったので、王女はまたのどが乾き、侍女に水を所望しました(前のできごとは忘れていた)が、前よりきつい言葉で拒絶されます。

仕方がないので、王女は馬からおりて、川で水をすくってのもうとしたら、なんと、大事なハンカチを川に落とします。王女はこのことに気づかなかったのですが、侍女は見ていて、王女を守る女王のパワーがなくなったと判断します。

侍女は、無理やり、王女の服と自分の服を交換し、自分がファラダに乗り、王女には自分の乗っていた馬をあてがいます。つまり、すりかわったのです。さらに侍女は、王女に、「入れ替わったことを誰にも言わない」と誓うよう強要し、「もし人に言ったら、その場で殺すわよ」、と王女を脅しました。

ファラダ(馬)はすべてを見ていました。

ガチョウ番になるおひめさま

嫁入り先につくと、みな、ファラダに乗ったきれいな服を着ていた侍女を王女だと思い、歓迎し、2階に案内しました。

王女がひとり、ぽつねんと庭で突っ立っているのを見て、年老いた王さまは、「なんてきれいで優雅な娘なんだろう」と思い、侍女(王女のふりをしている)のところへ行き、この娘のことをたずねました。

「途中で拾った娘ですわ。何か仕事を与えてやってください」と侍女が言うので、王さまは王女に、ガチョウの世話をしているコンラッドの手伝いをさせることにしました。

馬を殺してしまう侍女

侍女は、王子に、「だんなさま、私の馬の首をはねてくださいな。道々、あばれて言うことを聞きませんでしたの」と頼みます。もちろん、口止めしたくて、殺すことにしたのです。

何も知らない王子は言われたとおりにし、ファラダは死んでしまいました。本物の王女はこのことを知り、屠殺業者に金貨をあげて、 ファラダの首を、街にある大きな門に、かけてくれるように頼みました。

朝、王女とコンラッドが、がちょうを荷馬車で運ぶ時、王女は馬の首に話しかけます。

王女:ああ、ファラダ、そこにかかっているのね!

ファラダ:ああ、若き女王さまがお通りになる。もし、お母様が知ったら、お心を傷められることでしょう。

不思議なことをするガチョウ番の女

牧草地に行くと、王女は、座って、結っていた金色の髪をほどきます。その髪があまりに美しいのでコンラッドが抜こうとすると、王女は

風よ、吹け、吹け、そしてコンラッドの帽子を飛ばして、彼に追いかけさせて。私が髪を結い終わるまで

と唱えます。すると、本当に風が吹いて、コンラッドの帽子が飛ばされます。

翌日も、王女は死んだ馬の首と話をし、風をおこして、コンラッドの帽子をとばしたので、コンラッドは気味が悪くなり、王さまに、「あの娘のめんどうはみたくない」と訴えました。

すべてを知る王さま

コンラッドから事情をきいた王さまは、翌日、自分の目でガチョウ番の女の不思議な行動を目撃し、王女(いまはガチョウ番)に、なぜそんなことをするのか直接聞きました。

「誰にも事情をお話することはできません。そう誓ったので。もし話したら殺されてしまいます」。

王さまが何度言っても、王女ががんとして口を割らないので、王さまは、「私に言えないなら、そこにある鉄のかまどにおまえの悲しみを語るがいい」と言って、部屋を出ていきました。

王女は、かまどにすりより、泣き始めました。「私は、世界中から見捨てられた。王の娘だというのに。うそつきの侍女が私の夫を奪ってしまった。いまや私はガチョウ番の女。おかあさまが知ったら、どんなに悲しまれることか」。

王さまは、部屋の外で、煙突をとおして何もかも聞いていました。

ハッピーエンド

王さまが息子にすべてを話すと、王子は、ガチョウ番の女が、美しく徳の高いプリンセスで、本当の結婚相手だと知り、大喜びです。2人のための祝宴がもよおされました。

王子の両隣に、それぞれ侍女と王女が座ります。侍女は王子の向こう側にいるのが、王女だとは気づいていませんでした。王女がまばゆいばかりのドレスを着ていたからです。

宴会はすすみ、皆が上機嫌になったところで、王さまが侍女に謎をかけました。

王さま:こんなふうなことやあんなふうなことをして、自分の主人のふりをした人間にはどんな罰がふさわしいだろうか?

侍女:裸にして、とがった釘がいっぱい出ている樽の中にいれて、白い馬にその樽を引かせるといいでしょう。その人間が死んでしまうまで。

王さま:わしはおまえの話をしたのだ。おまえは自分で自分の処刑法を宣告した。望み通りにしてやろう。

侍女の処刑が終わったあと、王子は本物の王女と結婚し、ふたりは、国を平和に幸せにおさめました。

原文はこちら⇒ Grimm 089: The Goose-Girl

何も言わないことが徳の高いことなのか?

この童話は、シンデレラに似ていて、地位の高かったおひめさまのステータスがどーんと落ちて、最後には前以上にあがる話なので、読んでるほうはカタルシスを感じます。

まあ、私もわりと好きな話です。

王子さまとおひめさまの幸せな結婚、しゃべる動物、不思議な魔法など、おとぎ話らしい要素もたくさん出てきます。

しかし、このおひめさま、おとなしすぎます。侍女にやりたい放題させるなんて。最初に、「水なら自分で飲んでこい」、と言われたときに、びしっと侍女を叱っていたら、こんなことにはならなかったでしょう。

よって、私の思うこの物語の教訓は、「ものごとは最初が肝心」というものです。

もちろん、大事な娘を遠方に嫁にだすときは、侍女1人だけではなく、信頼できる家臣を複数名つけるべきである、という教訓もあります。というより、なぜ馬車で送り出さなかったのでしょうか?

馬に乗っていたから、ひときわのどが乾いたのでしょうから。

ファラダという馬も、生きているうちに、王子や王さまに 真実を告げるべきでした。たとえ殺されることになったとしても、そうしていれば、王女はガチョウ番にはならなかったはずです。

死んだあとに、「ああ、お母様はお嘆きになるでしょう」なんて言っても、後の祭りです。まあ、これは童話なので、ハッピーエンドになりますが。

せっかく、話をできるのですから、生きているうちにその能力をつかえ、と言いたいです。このことから、生きているうちが花、という教訓も引き出せます。

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