もみの木(アンデルセン、1844)のあらすじ。

クリスマスツリー アンデルセン童話

デンマークの童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話から、『もみの木』を紹介します。

原題は、Grantræet、英語のタイトルは The fir tree

私には、身につまされる話です。

1行のあらすじ

もみの木の一生。

早く大きくなりたいもみの木

ある森に、小さなもみの木がありました。名前をMとしましょう。Mは、日当たりも、風通しもいい、頃合いの場所に立っています。

もっと大きな仲間のもみの木や、松に囲まれて。

Mはいつも早く大きくなりたいと思っていました。

「大きくなりたいなあ」と思ってばかりだったので、暖かい太陽や新鮮な空気に気づいていなかったし、森で遊んでいる子どもたちが、「わあ、きれいな木だね」と言っても、うっとうしいだけでした。

年を重ねるうちに、Mはだんだん大きくなりましたが、相変わらず、もっと立派になりたいと思っていたので、太陽や鳥、雲のことは眼中にありませんでした。

Mのゴールは、もっと大きくなること、つまり成長することでした。

気になるできごと

秋になって、木こりが大きなもみの木を何本か切り出しました。これは毎年恒例です。

切られた木は枝をもがれて、荷車に乗せられ、どこかに運ばれていきました。

「どこへ行くんだろう? 彼らはどうなるんだろう?」

Mは、いつも不思議に思っていました。

春になって、Mはツバメに聞いてみました。

M「切られた木がどこへ行ったか知ってる? どこかで会ったことがあるかい?」

ツバメ(実は知らない)「うん、たぶんね。エジプトから飛んでくるとき、船を見たけど、そのマストになるんじゃないかな? もみの木の匂いがした」

M「ああ、僕も早く成長して、海を渡りたいなあ。海ってどんな感じ?」

ツバメ「一言じゃ言えないよ」

こう言うと、ツバメはどこかへ飛んで行きました。

太陽「Mや、成長するのを楽しみなさい。いまが一番いい時だからね」

ある年のクリスマス

クリスマスがやってきて、形のいい若い木がたくさん切られました。その中には、Mよりサイズが小さい木もありました。皆、枝がついたまま荷車に乗せられてどこかへ運ばれていきました。

M「みんなどこへ行くんだろう。僕より小さい木ばかり。それに、枝がついたままだ。不思議だ」

スズメたち「知ってる、知ってる。この先の街で見たことある。窓から見たんだけどね。

暖かくて、きれいに飾られた部屋の真ん中にいた。身体全体に飾りがついていたよ。金色のりんご、ジンジャーブレッド、おもちゃ、そしてたくさんのろうそくがついてた」

M「で、それから? それからどうなるの?」

スズメたち「あんなにきれいなもの、これまでに見たことないなあ~」

M「僕にもそんなすばらしいキャリアが待っているのかな。海を渡るよりずっといい。ああ、いつそんな日が来るのか。

ああ、僕も切って運ばれたらよかったのに。暖かくてきれいな部屋に立ちたい。そう、今より、もっと素敵な場所に。早くその日が来たらいいなあ」

太陽「Mや、今を楽しみなさい。自身の若さを楽しむんだよ」。

しかし、Mは全然楽しくありませんでした。どんどん成長して、「なんて立派な木なんだ」と皆に言われていたのですが。

M、とうとう伐採される

またクリスマスがやってきて、Mは真っ先に切られました。身体にめりこんだ斧の刃の痛かったことといったら。

ドサッ! Mは地面に倒れました。

ようやく切られたのに、想像していたほどMは幸せではありません。故郷、仲間、花、鳥たちと別れるのですから。彼らにはもう2度と会えないのです。

Mは、ほかの木と一緒に、街まで運ばれ、そこから、とある家の居間に運ばれました。

壁には肖像画がかかり、陶器のライオンの装飾品がある立派な部屋です。

快適そうな椅子やソファ、大きなテーブルの上には絵本やおもちゃがいっぱい。子どもたちもいます。

この部屋の真ん中の、砂を入れた樽の中に、Mは立っていました。樽の上には緑色の布がかけられています。

召使いがMを飾り付けました。折り紙や青や白の小さなろうそく、プラムの砂糖漬け、金のりんご、くるみなどで。召使いたちは、最後にMのてっぺんに大きな金の星の飾りをつけました。

部屋の中の人「夜になったら、すごくきれいだろうね」

M(心の中で)「ああ、今晩。ろうそくに灯りがともされる。するとどうなるんだろう? 森で切られたほかの木が僕を見に来るかもしれないねえ。

ツバメが、窓にやってくるかも。僕はここに根付くのかな。そしたら、冬も夏も、飾ってもらったままでいられる」。

Mは、その時が来るのが待ち遠しくてたまりませんでした。

クリスマス・イブ

夜になって、ツリーの飾りのろうそくに火が灯りました。とてもきれいです。

Mが喜びに打ち震えたので、ろうそくの火が葉に燃え移ったので、召使いがあわてて消しました。

突然ドアが開いて、子どもたちがやってきました。子どもたちは、ツリーのまわりで踊ったあと、プレゼントを開けはじめました。

M(心の中で)「何してるんだろう?」

ろうそくが消えたあと、ツリーで遊んでいいと言われた子どもたちは、枝を叩いたり、折ったりして、Mを乱暴に扱ったので、Mは立っているのがやっとでした。

もう誰もツリーを見ていません。

そして、お話タイムになりました。

小太りの男がやってきて、ハンプティダンプティが階段から落ちたけど、最後には王さまになってお姫様と結婚する話をしました。

Mはこの話をじっくり聞きました。

M(心の声)「ハンプティダンプティが階段から落ちて、おひめさまと結婚した。そうか、この世界はそんなふうになっているんだ。僕も階段から落ちて、おひめさまと結婚するのかもしれない」。

その日のことを思うと、Mは、楽しくなりました。また、ろうそくやおもちゃ、果物やキラキラしたもので飾られるのだと思ったのです。

「明日こそ、とってもいい日だ。またハンプティダンプティのお話を聞ける」。

M、屋根裏部屋へ運ばれる

翌朝、召使いたちが部屋にやってきました。Mは、「また輝くんだ」と思いましたが、召使いたちは、Mを部屋の外に引きずり出し、屋根裏部屋の物置の片隅に押しやりました。

陽のささない暗い場所です。

壁にもたれてMは思いました。

M「どうしてこんなところへ? ここでどんなお話を聞くのだろう?」

そのまま何日間が過ぎましたが、誰も部屋にやってきません。一度、誰かが入ってきましたが、Mには目もくれず、向こうのほうで用事をしていました。

M(心の中で)「いま、外は冬だ。大地は雪でおおわれて、何も植えることができない。春が来るまで僕はここに置かれているんだ。

なんて親切なんだろう。こんなに暗くなくて、寂しくなかったらもっとよかったけれど。ここにはウサギすらやってこない」。

すると、小さなネズミが穴から出てきました。

ネズミとの対話

ネズミ「すごく寒いね。でも、ここは楽しそうだね、モミの木のおじいさん」

M「僕は年寄りじゃない」

ネズミ「どこから来たの? ここで何しているの? ねえ、地球で一番きれいな場所のことを話して。行ったことある? パントリーにいたことある? チーズやハム、あぶらがあって、入るときはやせているのに、出てくるときは、太っている場所だけど」

M「そんな場所は知らないよ。でも、森は知っている。太陽が輝いて、小鳥たちがさえずるんだ」

Mは、自分が若かったころの話をしました。

ネズミ「いろいろ見て、幸せだったね」

M「確かに幸せな時代だった」

Mがクリスマス・イブの話をすると、ネズミたちは喜びました。ほかのネズミも出てきて、Mの話を聞きました。

昔の話をすればするほど、Mは、その頃、本当に幸せだったと思いました。

M「でもね、幸せなときはまたやってくる。ハンプティダンプティは階段から転げ落ちて、プリンセスと結婚したし」

このときMは、森にあった小さくてかわいいシラカバの木を思い浮かべていました。

Mはハンプティダンプティの話をします。

ネズミたち「たった1つの話しか知らないの?」

M「ああ、これだけさ。一番幸せな夜に聞いたんだ。でも、そのときは、自分がどれだけ幸せなのか気づいていなかった」。

ハンプティダンプティの話は、たいしてネズミたちに受けず、彼らは、チーズやハムがたっぷりあるパントリーのことを知らないか、としつこく聞きました。

Mが知らないというと、ネズミたちはどこかへ行ってしまいました。

M(心の声)「ネズミに話を聞かせるのも悪くないな。でも、早く外に出たいものだ。いったい、それはいつなんだろう?」

M、庭に出る

ある朝、数人の人がやってきて、Mを引っ張りだしました。わりと暴力的に。そして、Mは外に出ました。お陽さまが輝き、新鮮な空気のある外へ。

M(心の声)「ようやく、また、楽しいときがやってきた」。

庭にはたくさんの花が咲いていて、鳥も飛び、人もいっぱいいて、とてもにぎやかでした。

でも、Mに目を向ける者はいません。

M「今度こそ、人生を楽しむぞ」

Mは枝を広げましたが、なんということでしょう、葉はみんな枯れて黄色くなっていました。Mは、雑草の中にいて、頭にまだついていた金の星は、太陽の光で輝いていました。

庭では子どもたちが遊んでいます。クリスマスの日にMのまわりで踊った子どもたちです。

一番小さな子がMのところにやってきて、Mの金の星をぺりっとはがしました。

「見て、汚くて古いツリーがまだある!」

その子は、Mのかさかさになった枝をはたき、残っていた葉をみんな落としました。

終わりの時

Mの背後には、美しい花々の咲く庭があります。Mは、屋根裏の暗い片隅にいたほうがよかったと思いました。そして、森や、クリスマスイブ、ネズミのことを思いだしました。

M「もう終わってしまった。あのとき、喜んでいればよかったのに。もうみんな過ぎてしまった」。

庭の仕事をしている少年が、Mを小さな丸太に切って、丸太の山を作りました。丸太になったMは、銅の鍋がかかっているかまどにくべられ赤々と燃えました。

Mは深いためいきをつき、それは、銃弾のように、パチパチと音をたてました。

子どもたちはまだ庭で遊んでいて、一番小さな子は、胸に金の星をつけていました。Mが、一番幸せだった晩につけていた星です。

でも、それも、もう終わったことです。Mはいなくなり、お話も終わり。みな終わったのです。どんなお話も、最後には終わらなければならないのです。

原文(英語)⇒Short Stories: The Fir Tree by Hans Christian Andersen

マインドフルネスを説く童話

この童話は、今ではなく、これから起こるであろう楽しいことにフォーカスしていて、本当に楽しい時を楽しめなかったもみの木の話です。

もみの木は、自分のまわりにすばらしいことが起きているのに、そういうことには目を向けず、先のもっとすばらしいこと(あくまで想像の世界)に思いをはせているうちに、一生を終えました。

この世を去る時、「あのときは、あんなに楽しかったのに、僕はそれを楽しんでいなかった」と後悔しています。

今、ここに目を向けなさい、はやりの言葉で言えば、マインドフルでいなさい、というのがこのお話の教訓です。

それにしても、「すべてはいつか終わる」なんて、確かにそのとおりですが、そんなこと、子供にいっても、子供はピンと来ませんよね。

まだ、世の中に登場して間がないのですから。

自分のおじいさんやおばあさんが亡くなることを体験していれば、「人はいつか死ぬ」とうすぼんやりとわかっているでしょうが、自分も終わるとは思っていないはずです。

この話が、胸にぐさっと刺さるのは、すでに人生の後半を生きている人です。

赤い靴』や『人魚姫』では、最後に主人公が死んでも、神に召されるので、ある意味、ハッピーエンドですが、信仰をもたないもみの木は、バチバチと言いながら燃えるしかないのです。

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