エニミー姫(サンテ二ミー)の伝説~フランスの民話

サンテニミー その他の物語

フランスの伝承話から、エニミー姫の伝説を紹介します。後に、聖人となり、サンテ二ミーと呼ばれたお姫様の話です。

エニミーはカトリック教会の聖人で、メロヴィング朝の王女。クロテール 1世の娘で、ダゴベール1世 の妹(姉かもしれない)です。よって、エニミーは、7世紀頃の人です。

結婚したくないお姫様

クロテール2世の王国では、結婚適齢期の男爵たちが、エニミー姫の世にもまれな美しさについて、よくうわさをしていました。

王様のもとには、毎日、求婚の申込みが届きました。しかし、エニミー姫は美しいだけでなく、高い徳の持ち主で、求婚を断ってばかりいました。

「娘よ、おまえはもう結婚する年頃だ。子どもみたいな振る舞いはやめなさい」。ある日、王様は、うんざりした調子でエニミーに言いました。

「お父様、私は人生を神に捧げたいのです。そして、貧しい人を助けたい。これは神のご意志ですから、お父様にはどうしようもできません」。

「おまえは頑固だから、私がお前の婿を選ぶぞ!」そう言い放つと王様は部屋を出ていきました。

神に助けを求める

エニミーは泣きました。切羽詰まったエニミーは、自分を助けてくれるたった1人の人を呼びました。

「主よ、どうぞ私をお助けください。私の美貌を取り去って、もう誰も私に興味を持たないようにしてくださいませんか?」

泣き疲れたエニミーは眠りにつきました。翌日、エニミーは、神が願いを叶えてくれたことを知りました。

顔が、汚くて痛い傷で覆われていたのです。エニミーはハンセン病になってしまったのです。

はじめ、エニミーは自分の運命を喜びました。もう彼女と結婚しようとする者はいませんから、人生を貧しい人や病気の人に捧げることができます。

でも、数年後、自分のしたことを後悔し始めました。というのも、国の名医がどんなに力を尽くしても病気が治らないし、両親や、将来の王である兄が、深く悲しんでいるからです。

顔の痛みはどんどんひどくなり、エニミーの後悔もつのりました。

また神にお願いする

とうとうある晩、エニミーは、また神にお願いをしました。

「主よ、あなたは、私の最初の願いを叶えてくださいました。できれば、もう一度、願いを叶えてくださいませんか? この病気を治してほしいのです」。

その瞬間、天使が現れました。

「私の子どもよ、ジェヴォーダン地方にあるブールの泉を探し当て、水浴びをしなさい。そうすれば、病気が治ります」。

翌日、父親はすぐにエニミーをジェヴォーダンにつれて行き、あちこち歩き回った末に、ついに泉を発見。エニミーが泉で沐浴をしたら、奇跡が起きて、傷がすっかり治りました。

「主よ、ありがとうございます!」

王様はもちろん、エニミーと一緒に来たお付きの者たち全員が大喜びしました。翌日、城に戻るため、立ち去ろうとすると、またエニミーは痛みを感じ始めました。

引き返して、エニミーが泉に入ると、傷は消えるのです。でも、泉から遠ざかれば遠ざかるほど、エニミーの病気がぶり返します。

「わかったわ。これが主のご意志なのね。私はここにとどまり、ご奉仕をするべきなんだわ」。

エニミー姫は、山にある洞窟に入っていきました。護衛の者たちはみな城に戻りました。

病人を治すエニミー

その後、数年間、エニミーは巡礼者を歓待し、泉のほとりで病人を治す奇跡を起こしました。

エニミーは修道院を作り、イレール司教から修道院長に任命されました。

しかし、悪魔の化身のドラクが、彼女を見ていました。悪魔は、ときどき山の裂け目から出てきて、建物をこわしました。

ドラクの悪行に疲れたエニミーは、悪魔を完全に追い払うために、司教に助けを求めました。2人は、共に悪魔と戦い、逃げる悪魔を追って、山の中を走り抜け、崖まで来ました。

疲れ果てた司教が、山に呼びかけたら、大きな山が悪魔に衝突。悪魔はしぶしぶ、逃げていきました。

現在も、パ・ド・スーシーで、割れた大きな岩を見ることができます。その少し先には、修道院や洞窟があります。聖エニミー(サンテ二ミー)は、引退後、この洞窟に入り、余生を過ごしたのです。

☆あらすじはこちらのアニメをもとにしました⇒Parler de la légende de la princesse Énimie en classe de français | Enseigner le français avec TV5MONDE

サンテニミーの村

サンテニミーは、南フランスのロゼール県(Lozère)にあり、今も中世の街並みが残っています。

この街は、民話にあるように、7世紀、この土地の水で、ハンセン病を治した聖エニミーが修道院を作ってから、集落ができました。

サンテニミーの伝説のおかげで、巡礼者がたくさん訪れ、お金も集まり、街に発展していったのです。

その後、べつの修道院が作られ、栄えていましたが、フランス革命の後、教会の権力が衰え、修道院とも街も衰退します。

修道院や泉は今でもあり、現在は、観光客が訪れる、美しいフランスの小さな村の1つです。

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